
戦国大名・上杉謙信(1530〜78年)は生涯独身だったとされるが、謙信に妻がいたとの説が浮上している。兄長尾晴景の娘や上田長尾家ゆかりの女性ら具体的な人物の名前も上がり、上越市では関連の講演会も開かれている。2030年に生誕500年を控え、あらためて謙信の人物像がクローズアップされている。
謙信は孤高の名将と言われ、生涯独身を通したと伝わる。謙信没後の「御館(おたて)の乱」は養子2人による家督争いだった。
しかし、15年ほど前に高野山(和歌山県)の宿坊に伝わる史料「越後過去名簿」に謙信の妻とみられる記載があることが判明。1559年に、謙信を指すとみられる「越後府中」の御新造(武家の妻)との表記があったという。以前にも妻の存在をうかがわせる謙信や家臣の書状も見つかっており、新史料の発見以降、学術関係者が研究を進め、ここ1年ほどで妻の人物像が相次いで語られるようになった。
まず駿河台大の黒田基樹教授が、2024年秋に発刊した共著「上杉謙信とその一族」の中で「長尾晴景の娘の可能性が高い」との考察を提示。系図や戒名が記載された史料から読み解いたもので、兄晴景から家督を継ぐに当たって娘と結婚した可能性が高いとみている。
作家の武川佑さんが今夏発表した小説「龍と謙信」でも、晴景の娘と結婚したと書かれている。晴景から当主の座を奪ったとして謙信を恨みながらも、妻になるストーリーになっている。
一方、妻が現在の南魚沼市を本拠地とした「上田長尾家」の長尾政景ゆかりの人物とみるのは、上越市公文書センターの福原圭一所長。25年から上越市内での講演で披露している。
根拠とするのは、謙信の家臣となる宇佐美定満の拠点が放火された際に作成された文書だ。「たとえ放火した者が御新造様の近い人であったとしても…」との趣旨の記述があるという。近い人とは、長尾家の家督争いを機に景虎(後の謙信)と緊張関係にあった政景を指すとみられ、政景の親類の女性が謙信の妻との見立てだ。
確定的な説とはなっていないが、福原さんは「妻がいたことを示す資料が相当数あるのは間違いなく、逆に独身という方が難しいのではないか」とした上で、「妻についての議論が進み、謙信への関心を高めるきっかけになればいい」と話した。...











