2006年春のセンバツ高校野球で、日本文理高が新潟県勢初のベスト8入りを果たした。その立役者となったのが、後に阪神タイガースへと進む横山龍之介投手(新潟市秋葉区出身)だ。切れのある「縦のスライダー」を武器に聖地で快投を演じた。あれから20年。新潟県の高校野球史に新たな扉を開いた「縦のスライダー」は、いかにして生まれたのか―。当時を振り返ってもらいながら、その後の人生に与えた影響を語ってもらった。

(デジタル報道センター・野上貴)

(よろしくお願いします)

よろしくお願いします。取材のお話をいただいて、あれからもう20年も経つんだなって思いました。

(感覚的には「早かったな」という感じですか)

そうですね。去年(25年)の年末に、文理のメンバーで集まる機会があって、当時の映像を見ながら飲んだんですけど、その時もやっぱり「早いな」って思いました。いつの間にか、そんなに時が経っているというか。

(2006年春のセンバツは日本文理高にとって初めてのセンバツ出場でした。出場が決まった瞬間の気持ちはいかがでしたか)

05年秋の北信越大会決勝で(富山県の高岡商に)大差で負けてしまって(8-15)、そもそもセンバツに出場できるか不安もあったんですけど、なんとか決まったので、非常にうれしかったのを今でも覚えています。ただ、うれしさもありながら、当時は不安な気持ちもありました。

2005年秋の北信越大会決勝の新潟日報朝刊記事(タップ・クリックで別画面が開きます)

(どういった点に不安を感じていたんでしょうか)

北信越大会で、自分の調子が悪くて…。逆に(1学年下の)栗山賢が絶好調ですごかった。「このままじゃ、まずいな」っていう気持ちを抱えながらセンバツの出場が決まったので、不安も感じていました。

◆あの「縦スライダー」が誕生したのは…

(北信越大会を経てどんな課題が見えましたか)

自分は当時...

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