1912年4月、北大西洋で豪華客船タイタニック号が氷山に衝突し、海深く沈みました。乗客乗員約2200人のうち約7割の約1500人が亡くなった大惨事に日本人でただ一人居合わせ、しかも生還した男性がいます。本県出身の細野正文さんです。
細野さんが事故に見舞われた直後に書き留めた手記が現在、横浜市の横浜みなと博物館で特別公開されています。114年たった今でも語り継がれるタイタニック号の沈没事故。細野さんはタイタニック号になぜ乗り合わせたのか。どうやって生き延びたのか。帰国後に見舞われた非難とは。細野さんの残した手記や事故当時の新聞紙面、昭和期の本紙などを基に男性の数奇な運命をたどりました。
(佐渡総局・林康寛)
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- タイタニック号唯一の邦人生還者は県人だった 数奇な運命の足跡と子孫をたどる(上)
- タイタニック号唯一の邦人生還者は県人だった 数奇な運命の足跡と子孫をたどる 手記全文
◆帰国直後は祝福されるも…
タイタニック号から生還しニューヨークに着いた細野さんは、事故から2カ月後の6月3日、横浜入港の春洋丸で帰国を果たします。
当時の新聞「鉄道時報」は、細野さんの帰国と遭難時の体験談を、出迎えた家族との写真と共に報じています。数日後には鉄道院で細野さんの講演会が開かれ、奇跡の生還体験を聞こうと会場には多くの人が詰めかけました。
細野正文さんの帰国を報じる1912年6月8日の鉄道時報の記事(紙面下段)
文芸雑誌にもインタビュー記事が...
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