この春芸能生活30周年を迎えました。
改めてその月日を振り返ってみると、「越乃リュウ」として人生の半分以上を過ごしてきたことになります。
「名前が二つあるってどんな感じですか? 本名と越乃リュウの切り替えはどうやってるんですか? 何かスイッチがあるんですか?」
先日ラジオに出演させていただいた時に、(ラジオパーソナリティーの)遠藤麻理さんに聞かれました。
あまり考えたことも、聞かれたこともない質問に、ラジオにはあるまじき放送事故のような間を使い考えました。
スイッチと言われ、思い出すのは、宝塚受験の頃のことです。
踊ることが大好きで、バレリーナに憧れていた少女は、背が高くなりすぎたため、バレエの先生に「宝塚を受験してみたらどう?」と勧められます。
恥ずかしがり屋の少女は、「宝塚は絶対に嫌です!」。
そうお断りするも、「一度くらい受験してみなさい」と先生に押し切られ、試験科目の歌を勉強するために、近所のピアノ教室に通うことになります。
ピアノの前に座らされ、譜面を読めるようにと、レッスンは続きますが、私のやる気はゼロです。
そんなある日、とうとうピアノの先生の雷が落ちました。
「いいかげんにしなさい! まわりがこんなに一生懸命になってるのに! あなたのような人が絶対に受かるわけがありません!!」
カチッ。その時、私のスイッチが違う方向から入りました。
私は一度も受験したいなんて言ってないのに、なぜ怒られなければいけないのか!
なぜこんな思いをさせられるんだ!
そこまで怒るなら、譜面を読めるようになってやる!
よーっしゃ、見てろ! 宝塚に合格してやる!!!!
がむしゃらに歌の勉強を始めたのは、宝塚受験の3カ月前のことでした。
そんな負けず嫌いなスイッチが、今も私を押し出してくれています。
家族で考えた「越乃リュウ」という芸名。
新潟の代名詞の「越乃」と、リュウは新潟の市の木の「柳」と天に昇る「龍」を掛けて付けました。
こうして30年前の春、満開の桜が咲き誇る頃、新潟出身を前面に出したこの名前で、「越乃リュウ」はデビューしました。
私には自分だけが知っているスイッチがあります。仕事の時は、家から一歩出たら芸名のスイッチを入れます。戦いの場ではないけれど「挑む」という感じです。
そして芸名のスイッチが切れるのは、帰宅して全ての仕事が終わった瞬間です。ふっと切れるのがわかります。
これを心地良いと思うのですから、私はこれからもスイッチを入れて生きていくのでしょう。
芸能生活30周年、もう一度本気のスイッチを入れ、まだ見ぬ自分に出会う春。
× ×
「細工はリュウ流」-。このタイトルは「細工は流々(りゅうりゅう)仕上げを御覧(ごろう)じろ」(結果を見てから判断してほしい)という言葉が由来になっています。「流々」はそれぞれの流儀という意味。新潟市出身の元タカラジェンヌ・越乃リュウさんが、自分なりの視線や感じ方で、新潟のこと、日常のことをつづります。(1回目)

越乃リュウさん
◎越乃リュウ(こしの・りゅう)1993年宝塚歌劇団に入団。2008年、宝塚史上最年少で月組組長に就任。月組生80人をけん引しながら主要な役柄を数多く演じる。13年に退団後、舞台やコンサート、ナレーション、フォトグラファーなど活動の幅を広げている。新潟日報デジタルアンバサダーも務める。5月13日には新潟市民芸術文化会館で30周年記念コンサートを開催。