伊藤信太郎環境相は5月10日、新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。の公式確認から59年となる31日に新潟市で開かれる式典に出席しない意向を明らかにした。熊本県での水俣病熊本県水俣市のチッソ水俣工場から不知火海(八代海)に流された排水に、毒性の強いメチル水銀が含まれ、汚染された魚介類を食べた住民らに手足のしびれや感覚障害、視野狭窄(きょうさく)といった症状が相次いだ。1956年に公式に確認され、68年に国が公害と認定した。母親の胎内で影響を受けた胎児性患者もいる。根本的な治療法は見つかっていない。新潟県の阿賀野川流域でも同様の病気が発生。この新潟水俣病のほか、イタイイタイ病、四日市ぜんそくとともに、四大公害病と呼ばれる。被害者の発言遮断が問題となる中、新潟県では2015年、新潟水俣病の被害者と環境相との懇談会を環境省側が打ち切ろうとして紛糾した経緯があり、新潟の被害者は「(思いを聞こうとしない)環境省の姿勢は変わっていない」と批判している。
5月31日の式典には環境政務官の国定勇人衆院議員(比例北陸信越)を派遣する。
伊藤氏は10日の閣議後会見で、自身が出席しない理由について...
残り969文字(全文:1255文字)