
新潟水俣病公式確認60年を前に、関連事業などについて話し合った実行委員会の初会合=11月1日、新潟市中央区
新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。の公式確認から2025年で60年となるのを前に、節目となる式典や事業について検討する実行委員会の初会合が11月1日、県庁で開かれた。被害者の高齢化が進んでいることから、関係者からは「セレモニーだけで終わらず、問題の早期解決につながるような取り組みをしてほしい」といった切実な意見が出された。
実行委は「新潟水俣病被害者の会」など六つの被害者団体、県や環境省、原因企業の昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)、流域自治体などの15人で構成する。...
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