実務者協議に臨む新潟水俣病第5次訴訟の原告ら(手前)と環境省の担当者=3月4日、新潟県庁
実務者協議に臨む新潟水俣病第5次訴訟の原告ら(手前)と環境省の担当者=3月4日、新潟県庁

 新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。問題の解決に向け、環境省と被害者団体が意見交換する実務者協議が3月4日、新潟県庁で開かれた。環境省からは環境保健部の前田光哉部長ら4人が来県し、被害者救済や差別の解消に向けた取り組みなどについて協議を進める方針を示した。

 これまで熊本の水俣病熊本県で1956年に公式確認された病気で、その後、新潟県の阿賀野川流域でも集団発生した。毒性の強いメチル水銀を含む工場排水で汚染された魚介類を食べた人やその胎児が水銀中毒を発症し、亡くなった人も多い。症状は感覚障害や運動失調、視野狭窄(きょうさく)など。外見的な異常は現れずとも、手足のしびれや頭痛などに悩まされ続ける人もいる。被害者らと合同での協議はあったが、新潟の被害者団体のみでの協議は初めて。新潟水俣病第5次訴訟水俣病被害を訴える新潟市などの男女が2013年12月、国と昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)に損害賠償などを求め新潟地裁に提訴した訴訟。原告が水俣病かどうかや、九州に続き新潟県でも水俣病が発生したことに対する国の責任の有無が主な争点となっている。の原告団など3団体と、行政第2次訴訟の原告らでつくる新潟水俣病患者会が臨んだ。

 協議は非公開で行われ、...

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