
アルビレックス新潟30年の歴史をたどると、選手、指導者として何度も目にする名前がある。鳴尾直軌さん(51)だ。1999年、Jリーグ2部(J2)に参入したばかりの新潟に移籍。エースストライカーとして在籍2年で25ゴールを記録した。引退後も新潟のレディースなどで監督を務め、クラブとともに時代を歩んだ。先日、法人設立30周年記念イベントで久しぶりに“ホーム”に帰ってきた鳴尾さんに、新潟への思いなどを聞いた。(本記事のウェブ版では、朝刊紙面で書ききれなかった詳細なエピソードをより詳しくお伝えしています)
(運動部デスク・桑野龍太郎)
3日にデンカビッグスワンで行われたJ2・J3百年構想リーグの讃岐戦。ハーフタイムに登場し、サポーターに手を振った鳴尾さんは「やっぱり新潟は応援が“強い”。25年以上も前の選手を本気で応援してくれる。感動しました」と胸を熱くした。
岩手大を卒業し、「東北初の国立大卒プロサッカー選手」として、97年にデビューした。その後、選手を続けながら岩手大の大学院に進学。新潟在籍時は休学してサッカーに専念するという異色の存在だった。
サポーターの声援に応える鳴尾直軌さん=5月3日、ビッグスワン
大学までFWの経験はない。プロデビュー後にFWとして頭角を現し、新潟の頼れるエースに成長した。新潟ではとにかく前線で走り回っていた姿が印象に残る。当時の永井良和監督はカウンター狙いのサッカー。点取り屋でもあったが、守りでも相手DFをしつこく追い回し、ユニホームを泥で汚す選手だった。「自分のストロングは運動量。チーム内で信頼を勝ち取るために必死だった」と振り返る。
新潟は...
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