サッカーJ1アルビレックス新潟に2024年シーズン、7人の仲間が加わった。昨季は6季ぶりにJ1の舞台へ復帰した。今季はさらに進化を遂げて頂点を目指す。新加入選手の中から、FW小野裕二、MF長谷川元希、MF宮本英治の3選手にフォーカスして紹介する。
◆FW99 小野裕二
目覚めた「点を取る喜び」、闘志を前面に新潟で体現
闘志を前面に出すプレースタイルは、仲間を鼓舞しサポーターを熱くさせる。「どんなにいいサッカーをしていても負けたら意味がない。しっかり勝てるチームにしたい」。昨季、J1鳥栖でリーグ戦、キャリア最多の9得点をマークした経験豊富なストライカーは、新潟の精神面も支える心強い存在になりそうだ。
松橋力蔵監督は横浜Mユース時代の恩師。当時は反発したこともあったが、それもサッカーへの強い情熱からだった。17歳でトップデビューを飾り、18歳でエースナンバーの10番を託された。
当時は「自分が一番うまいと思っていた」。自信があっただけではない。同学年は宇佐美貴史(G大阪)や宮市亮(横浜M)、高木善朗ら「プラチナ世代」と呼ばれた。早くから海外に飛び出していった才能ある彼らと競うには「それくらいの気持ちじゃないとやっていけなかった」。

自身も2013年にベルギーへ移籍した。「結果的には失敗だったと思う」。膝のけがなどに苦しみ、プレーは限られた。だが、得たものも少なくない。家族の生活を背負った海外選手からは、ボールへの強い執着を感じた。自身も試合に出るため、サイドバックなどに挑戦した。
もがき続けた海外での4年間を経て、帰国後は鳥栖やG大阪でプレー。技術の高さとハードワーク、ユーティリティー性は中盤やサイドで重宝された。しかし、昨季久しぶりに年間を通じFWを任されると「本来の自分のプレーができた。改めて得点を取る喜びに気付かされた」という。
ゴール前の駆け引きに優れ、小柄ながら昨季9点中3点を頭で決めた。自ら長所と認めるトラップとキックの技術の高さは、狭いスペースを使う新潟のサッカーでさらに生きると信じ、今季は昨季以上の10得点を目標に掲げる。
「新潟はすごく魅力的なサッカーをしている。僕はもっとうまくなりたいし、成長するために移籍を決めた」。31歳になった今も高みを目指しながら、積み重ねてきた経験をチームの勝利のために注ぐ。
◆MF14 長谷川元希
積み上げた経験と自信 輝く才能、J1の舞台で存分に
J2甲府での3年間で、経験と確固たる自信を積み上げてきた。J1という初挑戦の舞台も「やる前からできないなんて思っていない」。これまで通り、自らのプレーで実力を証明するつもりだ。
大宮(J3)の下部組織出身。ジュニアユース時代から伊藤彰氏(J3金沢監督)の指導を受けた。「今の自分があるのは、彰さんのおかげ」と語る。特に教わったのは、プロになるための心構えと「ボールを大事にすること」だった。
法政大学に進んでプロを目指したが、不安もあり就職活動も並行して行った。その頃、恩師の伊藤氏が当時監督を務めていた甲府から声がかかった。特別指定を経て正式に入団すると、1年目から才能が開花。トップ下を主戦場に、多彩なアイデアと攻撃センスで得点につなげた。3年でリーグ戦計22ゴールと多くのアシストを記録し、攻撃の中心として10番も背負った。

2022年、甲府はJ2ながら天皇杯で優勝。主力としてJ1の広島や鹿島を破り、「J2でも対等に戦えた。自分の攻撃面は通用する」と手応えを感じた。アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)でも5試合で2得点を挙げ、1次リーグ突破に大きく貢献した。
「甲府でJ1に上がりたい」という思いも強かったが、決勝トーナメントを前に新潟への移籍を決めた。25歳というサッカー選手として決して若くはない年齢。「ワールドカップに出たい。その道筋を自分で描きながら近づきたいと思った」。苦渋の決断だった。
移籍の際に求めたのは、自分に合ったボールを大事にするスタイルだ。「自分が楽しくなきゃ意味がない。それが一番できるチーム」。輝く才能は、ビッグスワンのサポーターも楽しませてくれるはずだ。
◆MF8 宮本英治
無尽蔵に駆けるダイナモ、進化は続くよどこまでも
無尽蔵のスタミナとボール奪取能力を誇る中盤のハードワーカーだ。「自分のスタイルは固まっていない。意外と何でも、攻撃も守備もできるんです」。ピッチのどこであろうと、チームのために全力を尽くす。
サッカーのエリート養成校「JFAアカデミー福島」で技術を磨き、FWからDFまでさまざまなポジションを経験した。国士舘大へ進んでからはボランチが主戦場だが、サッカー選手への道は「やっとつかんだ」ものだった。
大学2年時に両足首を手術した。上の世代には明本考浩(浦和からベルギーへ期限付き移籍)らがいて選手層が厚く、さらに4年時はウイルス禍も重なり、アピールの機会は限られた。

夢を諦め、教員になることを考えていた。そんな時に、日本フットボールリーグ(JFL)所属だったいわきから声がかかった。「教員はサッカーをやってからでもできる」。周囲の声もあり、夢を目指す道を選んだ。
苦しんだ大学時代に重ねた走り込みは、運動量という武器となった。いわきでは筋トレで体重を約5キロ増やし、球際勝負に負けない体をつくった。1年ごとにJ3、J2とステップアップするチームとともにはい上がり、新潟への移籍で、ついにJ1の舞台までたどり着いた。
ロングボールが多いいわきと、新潟ではスタイルが異なる。「そこに自分がさらに進化するヒントがあるんじゃないか」と考える。
普段は穏やかな表情だが、ピッチでは熱い闘志を見せる。能登半島地震で新潟県も被害を受けた。「苦しい状況の人たちにも勇気を与えられるプレーをしたい」と意気込んでいる。
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