嘉瀬誠次さん
嘉瀬誠次さん

 慰霊の花火「白菊」を創案するなど長岡花火の発展に貢献した新潟県長岡市の花火師、嘉瀬誠次(かせ・せいじ)さんが12月14日午前2時9分、老衰のため、長岡市下々条町の自宅で死去した。101歳。長岡市出身。通夜、葬式は近親者のみで執り行う。17日午後4時〜5時に、長岡市南町1の1の11のセレモニーホール長岡会堂で一般弔問を受け付ける。喪主は長男晃(あきら)さん。

 1922年生まれ。36年に父・誠喜さんの営む嘉瀬煙火工業に入り、3代目として花火師の道に進んだ。43年に出征し、シベリア抑留から帰還後の51年、長岡まつり大花火大会で戦後初の正三尺玉を打ち上げ、復活させた。83年には世界初の正三尺五寸玉を打ち上げた。

 米国やブラジルなど海外でも花火を打ち上げ、90年にはロシア・ハバロフスクで、抑留された戦友たちの慰霊のための花火「白菊」を打ち上げた。96年には、前年の阪神淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市で千発の花火を打ち上げた。2002年に花火づくりから引退した。

 02年に新潟日報文化賞、11年に観光振興功績で県知事表彰、16年には第50回吉川英治文化賞、長岡市民大賞を受賞した。

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