
新潟県長岡市を襲った1945年8月1日の長岡空襲から78年となった。空襲は午後10時半に始まり、翌2日午前0時10分まで続いた。米軍の爆撃機のB29が125機飛来。16万3千発以上の焼夷(しょうい)弾を投下した。犠牲者は前の月にあった模擬原爆投下による4人を含め、判明しているだけでも1488人に上り、被害戸数は全市の8割近い約1万2千戸に及んだ。火の海となった街を逃げ惑い、大きな防空壕(ごう)があった平潟神社や市街地を流れる柿川などで多くの市民が亡くなった。あの日の惨禍を忘れまいと、8月1日の長岡市内は鎮魂と平和を祈る1日となる。
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新潟日報デジタルプラスでは空襲犠牲者を悼む日を迎えた8月1日の長岡市内の様子について、追悼行事や空襲関連史跡の情報を交えながら随時お伝えしていきます。
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◆梵鐘 悠久の平和を願う響き、長岡の夜空に

長岡空襲の戦没者を慰霊する花火「白菊」の打ち上げに合わせ、新潟県長岡市千代栄町の西楽寺で1日午後10時半、梵鐘が打ち鳴らされた。住職の春日一浄さん(50)が鐘を5回突き、「ゴーン」という音が響くと、辺りは厳かな雰囲気に包まれた。
西楽寺によると、今年3月に亡くなった先代の住職浩三さん(享年91歳)が1990年8月1日、平和を願う市民の集いに合わせて「悲惨な戦争を二度と起こさない」「平和が果てしなく続くように」との願いを込めて、旧長岡市内の寺に声をかけて「悠久の鐘」として一斉に鐘を突いたのが始まり。今は長岡市が梵鐘のある寺に協力を呼びかけている。
◆[午後10時30分]「白菊」上がる 戦禍に巻き込まれた人々悼む

1945年の長岡空襲から78年となった8月1日、長岡市では空襲が始まった午後10時半に合わせ、犠牲者を慰霊する花火「白菊」が3発打ち上げられた。市民は戦禍に巻き込まれた人々を悼み、平和への願いを新たにした。
長岡市では2003年から犠牲者の慰霊と復興に尽力した人への感謝、恒久平和の願いを込めて3発の白菊を打ち上げている。今年も墓前に供える白い菊に見立てた花火が信濃川の河川敷から上がり、白い光で夜空を優しく照らした。

長岡空襲では、米軍が1時間40分にわたって大量の焼夷弾を投下し、市街地の約8割が焼失した。前の月の模擬原爆による被害と合わせ、判明しているだけで1488人が犠牲となった。
市内では1日、慰霊祭や平和記念式典も行われた。2、3の両日は長岡まつり大花火大会が開かれる。
◆[午後9時すぎ]平和祭、神輿渡御が始まる
長岡市の大手通り周辺で開かれている平和祭では午後9時ごろ、「越後長岡慰霊神輿(みこし)渡御」が始まった。17基の神輿が登場し、会場は熱気に包まれた。

今年は新型コロナウイルス感染対策のための人数制限を設けず、4年ぶりの通常開催。20団体から約3000人が参加した。担ぎ手の若衆たちが悠久太鼓の演奏に合わせ「エイッサー、オイッサー」と威勢のよい声を上げながら、大手通りを練り歩いた。

沿道から家族4人で見守っていた長岡市緑町2の団体職員の男性(41)は「久しぶりに活気が戻ってきてうれしい。慰霊の思いを忘れず、子どもたちにも伝えていきたい」と話した。


◆空襲体験者の連載公開
連載[長岡空襲・体験者は語る あの夜の記憶]を公開しました。戦地に赴いた方や長岡空襲を経験した方、戦時下の暮らしの記憶を持っている方々から体験を聞けることは非常に貴重な機会となっています。
[体験者は語る あの夜の記憶]は、証言者の方が長岡空襲の日の夜、どのように逃げたのかなどをお聞きしています。
◆空襲体験者―火の海の中、裸足で逃げ惑う
慰霊の一日となった長岡市内。平和祈念式典では、空襲体験者が戦争の悲惨さを語った。
空襲で母を失った谷芳夫さん(86)=長岡市川崎3=が、燃えさかる街から母や姉と必死で逃げた当時の状況を振り返った。

逃げる途中で母は「おまえたち早く逃げれ」と言い残して引き返し、そのまま帰らぬ人となった。商売に必要な道具を守るため自宅に戻ったとみられる。
一方、谷さんと姉は人々の悲鳴や家の崩れる音を聞きながら火の海を逃げ惑った。田んぼに逃げ、翌朝、はだしで長岡駅まで行った。谷さんは「焼け野原だった。駅前から長生橋が見えたように思う」と、変わり果てた街の様子を語った。
空襲の犠牲者1488人の中には約280人の学童がいたことに触れ、「夢や人生を奪われた一人一人の悔しさを想像するだけで許しがたい気持ちになる」と語った。
広島市で開かれる広島平和祈念式典に派遣される旭岡中3年の生徒(15)は体験談を聞き、「戦争の悲惨さを改めて感じた。戦争体験者が少なくなる中で、二度と戦争を起こしてはいけないという思いをつなげていかないといけないと思った」と話した。
◆柿川灯籠流し
長岡市の市街地を流れる柿川では1日夜、空襲犠牲者1488人の慰霊と恒久平和を願う「柿川灯籠流し」が催された。炎を逃れようと多くの人が飛び込み、命を落とした場所だ。1488個を超える灯籠が川面を照らし、市民は犠牲者へ追悼の祈りを捧げた。

長岡青年会議所(JC)が主催し、今年で40回目。参加者は灯籠に「戦争がなくなりますように」などと書き込み、川にそっと放った。親子で参加した長岡市の青葉台小学校4年の女子児童(9)は「世界で起きている戦争のニュースを見ると悲しくなる。少しでも早く争いがなくなってほしい」と願った。
◆[午後6時]平和祭始まる
午後6時、長岡市の大手通りで平和祭が始まった。オープニングセレモニーでは平和の象徴であるハトを...