街頭で支援を訴えた新潟水俣病第5次訴訟の原告や支援者ら=19日、新潟市中央区
街頭で支援を訴えた新潟水俣病第5次訴訟の原告や支援者ら=19日、新潟市中央区

 4月18日の新潟水俣病1965年に阿賀野川流域で発生が確認された公害病。熊本水俣病に続く「第2の水俣病」といわれる。昭和電工(現・レゾナック・ホールディングス)鹿瀬工場(当時)の排水を原因とし、メチル水銀に汚染された魚を食べたことによる水銀中毒症。患者に対する救済制度、企業や国の責任などを巡り、裁判や紛争が繰り返されてきた。第5次訴訟判決が2カ月後に迫った2月19日、原告や支援者らが新潟市中央区の古町十字路で街頭活動をした。「全ての水俣病被害者救済を」と書かれた横断幕やのぼりを掲げ「原告も高齢化している。一刻も早い解決に向け後押ししてほしい」と市民に呼びかけた。

 街頭活動には、阿賀野患者会や支援団体などから約40人が参加。ビラを通行人に手渡しながら、署名も呼びかけた。原告らはマイクを握り早期救済...

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