
北朝鮮による拉致1970~80年代、北朝鮮が日本人を連れ去る国際犯罪を重ねた。工作員の教育などが目的とされる。2002年の日朝首脳会談で金正日総書記が拉致を認めて謝罪。被害者5人が帰国し、8人は「死亡」とされた。日本政府認定の被害者は計17人で、北朝鮮は4人を「未入国」と主張している。日本側は説明に不審な点が多いとして受け入れず、交渉は停滞している。の疑いを排除できない特定失踪者北朝鮮による拉致の可能性が排除できない行方不明者。2002年に、かつて北朝鮮による拉致被害者として名前が浮上していなかった曽我ひとみさんが帰国したことなどを受け、03年に民間団体「特定失踪者問題調査会」が特定失踪者を独自にリストアップしている。政府認定の拉致被害者は、02年に帰国した5人を含めて17人。で新潟市西蒲区出身の大沢孝司さん=失踪当時(27)=1974年2月24日夜、新潟県新穂村(現佐渡市)の県佐渡農地事務所に勤務していた大沢孝司さんが、焼き肉店で夕食をとり、狩猟仲間の食堂を訪れた後、行方不明になった。最後に目撃された食堂は寮まで約200メートル。失踪と同時刻に車の急ブレーキのような音を聞いたという証言がある。また焼き肉店の女性は、孝司さんが国外の農地整備の仕事を持ちかけられ、悩んでいたと語っている。が消息を絶ってから、2月24日で50年になった。家族や支援者は政府による拉致認定を求め、活動を続けている。背景には「認定されないと日朝交渉の議論に載せてもらえないのでは」という懸念がある。しかし2006年を最後に新たな認定はない。家族にとって「認定の壁」の先は見えない。(報道部・横山志保、樋口耕勇)
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「日本政府が認定しない者を北朝鮮が出すわけない」-。孝司さんの兄昭一さん(88)は2月22日、新潟県庁での記者会見で焦りをにじませた。ここ数年、特に強く認定を求めてきたが、政府側の反応は乏しい。
認定は拉致被害者支援法に基づき行われる。政府は当初、認定について(1)北朝鮮による国家的意思が推認される(2)本人の意思に反する(3)北朝鮮に連れ去られた-の3要件が必要としていた。だが、近年は具体的な条件について言及を避けており、認定された例をみてもその過程に不明確な部分は多い。

政府認定の拉致被害者で神戸市の...