
長岡市と見附市の町工場が手がけたそりを傍らに、南極点到達を振り返る阿部雅龍さん=2019年2月、長岡市
2019年に新潟県長岡市と見附市の町工場などが製作したそりを引いて単独歩行し、南極点に到達した冒険家の阿部雅龍さんが3月末、闘病生活の末に亡くなった。41歳という若さだった。当時そり作りに取り組んだ職人たちの心には、熱く夢を語る姿が今も鮮明に残っている。
阿部さんは19年1月、約900キロのルートを単独踏破した。日本人初の偉業だった。この踏破で使われたそりを、長岡市や見附市の設計、造形、布の加工など4社が製作した。軽量ながら頑丈で、テント代わりにもなり、南極での心強い相棒となった。
秋田大在学中に冒険活動を始め、北米ロッキー山脈の縦走や手作りのいかだでのアマゾン川下りなどを行った。南極点挑戦...
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