
1995年12月、水俣病未認定患者救済の最終解決策決定について述べる村山富市首相=首相官邸
自社さ政権で首相を務めた村山富市さんが亡くなった17日、ゆかりのある本県関係者からも悼む声が上がった。
村山内閣で科学技術庁長官を務めた当時自民党の田中真紀子氏(81)は新潟日報社の取材に、「初当選したばかりの私を引き立ててくれた。政治家としてはまだ子どものような女の私を育ててくれた」と語り、恩人の死を惜しんだ。
田中氏は1993年の衆院選で当時の新潟3区から出馬し初当選。村山内閣が発足した翌94年に科技庁長官に抜てきされた。
用意された通りの国会答弁をせず、官僚と衝突したことがあったという。田中氏は「『面白い答弁だったじゃないか』と村山総理は言ってくれた。役人が政治家である私を批判していることについても『そういうことはあってはならん』と、長い眉毛を震わせて怒ってくれた」と、当時を懐かしむように語った。

「何でも話を聞いてくれた。大変かわいがっていただいた。眉毛を揺らせてカッカッと笑う顔を思い出す。大好きだった」と在りし日をしのんだ。
社会党、社民党の参院議員を3期15年務めた大渕絹子氏(80)=小千谷市=は「弱い立場の人に光を当てる政治家だった。惜しい人を亡くし、残念の一言」と悼んだ。
村山内閣誕生後、首相官邸での...
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