ビーグル、チワワ、ヨークシャーテリアが描かれた「例の看板」を知っていますか。新潟県長岡市のペットショップ「松田ペット」(松ぺ)の看板で、すべて手描き。まるで人間の顔のように一枚一枚表情が違い、ファンも多いです。500枚ほどあるこの看板は、長岡市の本社から半径10キロ圏内だけに展開していたのですが、先日、直線距離で70キロも離れた県北のまちでも発見されました。新潟県内にとどまらず全国的にもファンが急増中の「松ペ」に迫ります。(報道部・平賀貴子)

松田ペットの外観。個性的なペットの絵に囲まれ、松田保夫社長の世界観を体感できる=新潟県長岡市

 「松田ペット」は1973年、前身の「松田商展」として創業しました。犬、猫のほか、ペットグッズの販売、トリミングも行っています。

 松田保夫社長(80)は映画館で見た手描きの看板にほれこみ、かつて映画館で看板絵師として活躍した小千谷市の近藤看板店の近藤忠男さんに製作を依頼しました。当時のモチーフは金魚、インコなど松田商展で扱っていたペットが中心でした。猫を描いた時期もありましたが、世間の流行などを考慮し、最終的にビーグル、チワワ、ヨークシャーテリアのデザインに落ち着いたそうです。

(写真上から)松田商展時代の看板、デザイン会社に発注したものの松田保夫社長の趣味に合わず撤去された看板、ビーグルとヨークシャーテリアを描いた看板

 近藤さんが1枚1枚、描く人間味あふれる動物の絵は長らく、一部の好事家の間で話題でした。

 人気に火がついたきっかけは、同人誌「例の看板 フォトグラフ・コレクション」です。看板が多くあることで知られる長岡市在住の新稲(にいな)ずなさんが、切れ味鋭い文体でまとめました。「例の看板-」では写真をふんだんに使っていて、初心者にも魅力が存分に伝わってきます。

「例の看板 フォトグラフ・コレクション」(新稲ずな著)の表紙

 その後、人気番組「月曜から夜ふかし」などテレビ番組に度々、登場。看板がカプセルトイのキーホルダーやポーチになったり、高速道路のサービスエリアでグッズが販売されたりするなど、全国でファンが増えています。

松田ペットの関連グッズ。県外にもファンの輪が広がっている

 さて、前置きが長くなりました。今回、記者が松ペ看板を新たに発見したのは新潟県の北部にある新発田(しばた)市です。新発田城の城下町として発展しました。看板があったのは、新発田市大手町1にある自家焙煎(ばいせん)コーヒー店「三角フラスコ」です。

三角フラスコは、アイスで知られる「スギサキ」の元店舗を改装し、元気に営業中だ=新発田市

 松ペは看板の設置方針を決めていて、これまで長岡市の本店から半径10キロ圏内にしか設置していませんでした。記者が知る範囲では長岡市と同じ中越地方の見附市、出雲崎町、小千谷市で看板を確認しています。松ペ本店から新発田市の三角フラスコまでは直線距離で71キロ。設置範囲の外のまちに、なぜ看板を出したのでしょうか。

 この謎に迫るため、アポなしで三角フラスコを訪れました。事情を説明すると店主の星野良緒さん(42)は「松ペの話なら協力します」と、快く取材に応じてくれました。

 三角フラスコは世界中の個性あるコーヒー豆を自家焙煎して販売しています。

 星野さんは数年前、イラストレーターの友達が持っていた「例の看板」を読み、松ぺのファンになりました。「1枚ずつ図柄が違うところや、人間っぽい犬のまなざしが気になるようになりました。まさに現代アートです」

 2020年に新潟市から新発田市に店を移転した際、その友達が松田ペットの看板の作風をまねて、星野さんの愛犬たつおを描いてくれました。星野さんは一目見て、「このパッケージで商品を出したい」と思ったそうです。

星野良緒さんの愛犬で三角フラスコ社長のたつお。秋田犬で東日本大震災の保護犬だ(星野さん提供)

 許可を取るために21年に松田社長を訪問。ラベルの試作を見せたところ、「あなたの犬だから、許可は必要ない。うちの看板をラベルにしたら、もっと売れる」と言われたそうです。

 「えっ、看板を使わせてもらえるんだ!!」。手応えを感じた星野さんは「看板を使わせてください」「うちの店に看板を取り付けてください」と提案したそうです。

 三角フラスコは第1弾商品として23年、たつおのパッケージのアイスコーヒーを発売しました。5月に1000本を売り出すと1カ月ほどで完売。パックのアイスコーヒーが欠品した状態で、夏を迎えたそうです。

松田ペットの看板をオマージュした、たつおラベルのアイスコーヒー。驚くほどの売れ行きに、松ぺ看板の実力を実感したという(星野さん提供)

 24年6月1日、星野さんの携帯に松田社長から電話がありました。三角フラスコが新発田市内で移転したお祝いに、看板が贈られることになったのです。

 星野さんは、急ピッチで準備に取りかかりました。看板は92センチ×182センチもあり、2枚以上並べて出すのが松ペ流。星野さんは大きなガラス戸をふさぐ決断を下しました。急いでホームセンターのコメリに行き、土台となる板を購入。知り合いの大工に無理を言って、土台を取り付けてもらいました。

 松田社長は約束通り、6月13日、三角フラスコにやってきました。10年ほど前から設置を手伝っている三島中学校の同級生、新保一男さん(80)が手際よく作業を進め、2人で記念写真をパチリ。2時間以上かけて無償で駆けつけてくれた松田社長の姿に、星野さんは胸を打たれました。

三角フラスコの店先に看板を取り付ける新保一男さん(右)と、作業を見守る松田保夫社長=新発田市(星野さん提供)

 ではなぜ、松ぺは集客が見込めない新発田市に看板を取り付けたのか-。電話で理由を聞きました。

 松田社長は「三角フラスコさんは、看板に愛情がある。その上、アイスコーヒーがとてつもなくおいしいので特別です。半径10キロ圏内にしか出さないという方針は変えていませんし、今後、圏外に看板を出す予定はありません」と明言しました。

 三角フラスコでは今季、店頭の看板をラベルにデザインしたカフェインレスのアイスコーヒーを発売しました。星野さんは「松田ペットの名に恥じない品質のコーヒーを提供したい」と意気込んでいます(2024年の松ペ看板コーヒーは8月21日現在、完売)。

三角フラスコで発売した松ぺ看板のパッケージのカフェインレスコーヒー

◆松田社長「看板への愛がある」

 手描き看板で知られる新潟県長岡市のペットショップ松田ペット。新発田市に看板を設置した理由を松田保夫社長(80)に聞きました。

-かねてより「店から半径10キロ圏外には看板を出さない」と言っていました。経営方針を変えたのでしょうか。

 「方針は一切変わっていません。今後、10キロ圏外に出す予定もありませんよ」

-しかし、新発田市は松田ペットから直線距離で70キロ離れています。

 「三角フラスコさんからアイスコーヒーの紙パックに看板の絵を入れたいと相談がありました。そのときに『本物の看板も店に取り付けてくんなせぇ』と言われました。三角フラスコさんは、とても看板に愛情を持ってくれています。その上、アイスコーヒーがとてつもなくおいしい。三角フラスコさんだから特別に、2時間半かけて看板を取り付けに行きました」

松田ペット社長の松田保夫さん=長岡市

-商圏の外である新発田に看板を出す効果をどう考えていますか。

 「新発田のお客さまが松田ペットの店頭に来るとは考えていません。コーヒーのパッケージに看板のラベルを使うということなので、店先に本物の看板が付けばコーヒーの売れ行きに効果があると思います」

-看板ラベルのコーヒーは松田ペットで扱いますか。

 「それはまだ、分かりません。三角フラスコさんが『お前、売れぃや』と言うなら、考えます」

-三角フラスコは以前、松田ペットにオマージュをささげた愛犬ラベルのコーヒーを出しました。その際も二つ返事で許可を出したと聞きました。

 「松田ペットの看板風のイラストで、三角フラスコさんの犬のラベルを出したいと相談されました。『あなたの犬だから、許可を取る必要はありませんよ』と言いました」

 「その際、うちの看板で商品を出したいときは、断りを入れてほしいと伝えました。すると、『松田ペットの看板でいずれ商品を出したい』という相談も受けました」

-商品化に当たり看板の図柄を無償提供しました。

 「三角フラスコも、松田ペットも大会社ではありません。小さい店がますます繁盛するように、お金は一切いただかない。今回はそういう約束にしました」

通行人の目を引く大きな立て看板と社長の松田保夫さん=長岡市

-いまや看板をあしらったグッズは大人気ですね。

 「マグカップやクッキーなど30種類になりました。東京や群馬など全国から買いに来る人もいる。インターネットでは毎週数人が5千円、8千円を出して、グッズを買ってくれます。ありがたいです。特に瓦せんべいや、近藤看板店の直筆ミニ看板が人気です。どうして売れるのかなとも思いますが、感謝しています」