夏本番。海水浴場や魚の市場通りがある新潟県長岡市寺泊地域はこの時季、観光客でにぎわう。活気あふれる海もいいけれど、情緒豊かな歴史に浸るのはいかがだろう。かつて寺泊は、国内交易を担った北前船の寄港地としてにぎわい、佐渡に流罪となった人々が海を渡った地でもある。そんな歴史を伝える史跡や神社仏閣が点在する高台の小道を歩いた。その名も「ロマンス街道国道402号から山手に入った高台にある小道。街道沿いに歴史ある神社、寺などが並ぶ。夕日の絶景スポットとして知られる「汐見台」ともつながっており、奥行きが長い「妻入り」造りの家並みや、日本海の眺望が楽しめる。寺泊観光協会は、街道周辺を案内する史跡ガイドの申し込みを受け付けている。事前予約制で、散策の所要時間は約1時間半。ガイド料1000円。問い合わせは観光協会、0258(75)3363。」。所々で眼下に現れる日本海を眺めつつ、静かに歴史に思いをはせた。

(長岡支社・三木ゆかり)

遊女と恋した藤原為兼、歌碑に残る「ロマンス」

史跡公園「聚感園」

 散策は、ロマンス街道の中心にある史跡公園「聚感園(しゅうかんえん)」からスタートした。公園は、平安から明治初年までの長きにわたり、寺泊を中心に近隣で勢力を振るった豪族五十嵐氏の邸宅跡だ。佐渡へ配流となった都の貴人らが船待ちで滞在したとされ、歴史を伝える石碑や遺構が園内に点在する。

 「ここには男女のロマンスの逸話もあるんですよ」。郷土史研究家で寺泊観光協会のボランティアガイドも務める鳴海忠夫さん(74)が教えてくれた。

 1298年、陰謀を企てた疑いで流罪となった鎌倉時代の歌人、藤原為兼は京都から寺泊に来たものの、冬の荒波に阻まれ、五十嵐邸に1カ月余り滞在することになる。その際、五十嵐家の主人は手厚く為兼をもてなし、身の回りの世話をする遊女の初君(はつきみ)を仕えさせた。「美しく、和歌の道にも秀でた女性と伝わっている」と鳴海さん。

豪族の邸宅跡を史跡公園にした聚感園。手前に、藤原為兼が造らせたと伝わる庭の面影を残す池がある=長岡市寺泊二ノ関

 やがて恋が芽生え、為兼が佐渡に渡る日、2人は別れを惜しんで歌を詠み交わした。園内には江戸時代に建てられ、後に今の場所に移設された初君の歌碑や、平成初期建立で2人の歌を刻んだ歌碑がある。時代を超えて2人の交流がしのばれてきたのだと思った。

 その後、為兼は流罪を解かれたが、初君との再会はかなわなかった。京都に戻り、勅撰(ちょくせん)の「玉葉和歌集」に初君が詠んだ和歌「もの思ひ こしじの浦の白波も たちかえるならひ ありとこそきけ」を収めたという。

初君が詠んだ歌が刻まれた江戸時代の歌碑。風化が進み、文字は読み取れない

 五十嵐家では、為兼の滞在より80年近く前、佐渡配流となった順徳上皇も迎え入れた。奥州平泉(岩手県)に逃れる途中で寺泊に漂着した源義経、弁慶一行が身を寄せたともされ、順徳上皇の「行宮御遺蹟(いせき)碑」、「弁慶の手掘井戸」が残る。

 園内は木々に囲まれた散策路や古い石段もあり、あちこちで鳥のさえずりが聞こえた。鳴海さんは「海や港を巡る寺泊の歴史を感じながら、ゆったりと散策を楽しんでほしい」と話した。

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「硯水の霊井」

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