
新潟水俣病の症状に苦しむ日常や、早期解決に向けた要望について花角英世知事(中央奥)に訴える水俣病の被害者ら=7月12日、新潟県庁
新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。被害者の会と阿賀野患者会、新潟水俣病共闘会議の3団体が7月12日、新潟県庁と新潟市役所を訪れ、花角英世知事、中原八一市長とそれぞれ面会した。4月の新潟水俣病第5次訴訟水俣病被害を訴える新潟市などの男女が2013年12月、国と昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)に損害賠償などを求め新潟地裁に提訴した訴訟。原告が水俣病かどうかや、九州に続き新潟県でも水俣病が発生したことに対する国の責任の有無が主な争点となっている。新潟地裁判決で、原告の多数が水俣病と認定されたことを受け、団体側は早期解決を国に働きかけるよう求めた。
第5次訴訟は阿賀野患者会の会員が原告で、判決では47人のうち26人を水俣病と認めたが、原告、被告双方が控訴している。
花角知事との面会で、第5次訴訟原告団長で阿賀野患者会副会長の皆川栄一さん(81)=阿賀町=は「被害者は高齢化し、判決を待てない。裁判に...
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