伊藤信太郎環境相との懇談で、被害者救済への思いを訴える新潟水俣病阿賀野患者会の皆川栄一さん(右から3人目)=7月17日、新潟市中央区
伊藤信太郎環境相との懇談で、被害者救済への思いを訴える新潟水俣病阿賀野患者会の皆川栄一さん(右から3人目)=7月17日、新潟市中央区

 「生きているうちの解決が切実な願い」「みな高齢で時間がない」。7月17日に伊藤信太郎環境相と懇談した新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。の被害者たちは、被害の苦しみや、やるせない思いを訴え、一日も早い解決を求めた。ただ、伊藤氏は「懇談を重ねる」などと述べるのみで、具体的な救済策には踏み込まなかった。問題解決への道筋が示されないまま終了した懇談に、被害者からは「もっと具体的な答えが聞きたかった」と失望の声が上がった。伊藤氏は18日も新潟市内で新潟水俣病患者会と懇談する。

 懇談に参加した新潟水俣病阿賀野患者会の加賀美節子さん(76)=阿賀野市=は「生きている...

残り1323文字(全文:1623文字)