苗場観光協会顧問の師田富士男さん
苗場観光協会顧問の師田富士男さん

 日本最大級の野外音楽フェス「フジロックフェスティバルフジロックフェスティバルはイギリスの農地で催される「グラストンベリーフェスティバル」をモデルに、1997年にスタートした。第1回は山梨県の富士山麓で開いたが台風で、2日目を中止に。翌98年は東京・豊洲で開催した。99年の第3回から、自然あふれる苗場スキー場に会場を移した。」が、新潟県湯沢町で7月26日に開幕する。苗場スキー場での開催は、2024年で25回目になる。苗場観光協会顧問の師田(もろた)富士男さん(73)は、1999年に会場が苗場へ移った初回から、地元の中心となって尽力してきた。当初の思い出話などを聞いた。

-開催前、地元住民からはどのような意見があったのでしょうか。

 「最初は反対の声も多かった。俺は実際に現地に行って、話を聞くのが一番間違いがないと思い、過去に(フジロックを)開催した山梨と東京に行き、役所などからごみや騒音の問題があったと聞いた。褒めるべきことはなかった」

 「ただ、ごみの問題などは、人為的な部分で解消できると思った。渋谷の小さなフェスにも行ったが、苗場でもフェスをやるべきだと思った。何万人もが来てくれれば、町が潤うと感じたからだ」

-開催当初はどんな対応を取ったのでしょうか。

 「集落で何度も臨時総会を開き、主催者側とも、警備員の配置やパトロールカーを走らせることなど...

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