
2021年のフジロックフェスティバル。来場者は地面に付けられた印に沿って座り、声を上げずに音楽を楽しんだ=2021年8月20日、新潟県湯沢町
日本を代表する野外音楽フェス「フジロックフェスティバル」が2024年、新潟県湯沢町の苗場スキー場で25回目の開催を迎える。新型コロナウイルス感染症の流行を乗り越え、歴史をつないできたフジロック。その歩みは開催地の湯沢町と共にあった。新潟県の地方新聞「新潟日報」に掲載された記事や、紙面には載せきれなかった写真などから、歩みを振り返る。(3回続きの3)
2020年 初めての全日程中止
2020年1月、日本国内で初めて新型コロナウイルスの感染者が確認された。政府は4月7日、東京や大阪、福岡など7都府県に緊急事態宣言を出した。4月16日には対象が全国に拡大され、行動制限や「3密」を避ける暮らしが始まった。
音楽ライブはスポーツなどと同様に「不要不急」のものとして、ほぼ全ての活動が止まることになった。フジロックは初の全日程中止を余儀なくされた。

湯沢町、ひいては新潟県に欠かせない観光資源になっていたフジロック。いつ終わるとも知れなかった感染症の流行のさなか、一大イベントのない夏を迎え、当時の新潟日報は、あらためてその存在を見つめ直した。
スキー人気をけん引した苗場はかつて、冬のイメージが定着していた。だが、1999年のフジロック誘致後、新たなファンを獲得。「苗場と言えばフジロック」とも言われ、国内フェスの代表的存在となった。ゲストハウスや飲食店を営み、地域活性化に取り組む地元出身の元アルペンスキー日本代表、皆川賢太郎さんは「苗場のリブランディングとなり、新たなカルチャーが生まれた」と語る。


2021年 「特別なフジロック」
例年、国内外の総勢200組を超えるアーティストが出演してきたフジロック。2021年には、出演者を国内勢に限って開催に踏み切った。
首都圏などで...
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