「燕市PR隊鳥(長)」の就任を要請された際の「つば九郎」=2013年2月、燕市役所吉田庁舎
「燕市PR隊鳥(長)」の就任を要請された際の「つば九郎」=2013年2月、燕市役所吉田庁舎
つば九郎は「燕市PR隊鳥(長)」に就任する前には2日間限定で「燕市鳥(長)」に就任していた=2013年2月、燕市役所吉田庁舎
つば九郎は「燕市PR隊鳥(長)」に就任する前には2日間限定で「燕市鳥(長)」に就任していた=2013年2月、燕市役所吉田庁舎
つば九郎を描いた田んぼアート。およそ4千平方メートルの水田に、約300人が4色の稲を植えて描いた=2011年7月、新潟日報社のヘリから
つば九郎を描いた田んぼアート。およそ4千平方メートルの水田に、約300人が4色の稲を植えて描いた=2011年7月、新潟日報社のヘリから
燕市を度々訪れ、ファンと交流してきたつば九郎=2011年10月2日、燕市米納津
燕市を度々訪れ、ファンと交流してきたつば九郎=2011年10月2日、燕市米納津
首都圏や新潟県内の東京ヤクルトスワローズファンら約200人による稲刈り体験。つば九郎は稲を抱えて記念撮影に応じ、燕市産のコメをPRした=2013年9月
首都圏や新潟県内の東京ヤクルトスワローズファンら約200人による稲刈り体験。つば九郎は稲を抱えて記念撮影に応じ、燕市産のコメをPRした=2013年9月
神宮球場(東京)で行われた観光PRイベント「燕市Day(デー)」での記念撮影の様子。右から4人目が燕市の鈴木力市長=2019年8月
神宮球場(東京)で行われた観光PRイベント「燕市Day(デー)」での記念撮影の様子。右から4人目が燕市の鈴木力市長=2019年8月
大河津分水が通水100年を迎えたことを記念するイベントで行われた記念植樹式。つば九郎は「一日河川事務所鳥」として参加した=2022年8月、燕市五千石
大河津分水が通水100年を迎えたことを記念するイベントで行われた記念植樹式。つば九郎は「一日河川事務所鳥」として参加した=2022年8月、燕市五千石
ゆかりの著名人を「燕市PR大使」に任命する市の取り組みが10周年を迎えたことを記念するイベント。PR隊鳥(長)を務めるつば九郎も登場し、会場を盛り上げた。司会者に「最後に伝えたいことを」と促されたつば九郎は「こめをかいましょう」と地元産コシヒカリ「つば九郎米」をアピールした=2023年9月、燕市国上
ゆかりの著名人を「燕市PR大使」に任命する市の取り組みが10周年を迎えたことを記念するイベント。PR隊鳥(長)を務めるつば九郎も登場し、会場を盛り上げた。司会者に「最後に伝えたいことを」と促されたつば九郎は「こめをかいましょう」と地元産コシヒカリ「つば九郎米」をアピールした=2023年9月、燕市国上

 プロ野球ヤクルトは2月19日、球団の人気マスコット「つば九郎」が当面、活動を休止すると発表した。支えてきたスタッフが死去したため。つば九郎は、新潟県燕市の魅力を全国に発信する「燕市PR隊鳥(長)」としても活躍した。球団と長年交流のある燕市では、悼む声が上がった。

 「悲しいです。悲しいです。とっても悲しいです。」「あなたはまさに『つば九郎』そのものでした。心からご冥福をお祈りいたします」

 鈴木力市長は2月20日、ブログに追悼と、これまでの活動への感謝をつづった。

 「ツバメ」つながりで燕市は2011年に球団との交流を本格化させ、選手を招いた野球教室などを実施。つば九郎もたびたび市内を訪れて田植えや稲刈りを楽しみ、地域のイベントにも参加した。「つば九郎米」をはじめ、ステンレスエコカップ、スプーンといったグッズも登場した。

 燕市のPRにも尽力。神宮球場(東京)で行われる観光PRイベント「燕市Day(デー)」では、「隊鳥」のたすきをかけ、会場のファンらにアピールした。

 最後の来訪となったのは2024年9月。トークショーの中で、得意の筆談で会場を盛り上げたという。...

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