

新潟県最北のスキー場、村上市営のぶどうスキー場が3月9日、37年の歴史に幕を閉じた。リフトはわずかに2基。運営スタッフも来場者もほとんどが地元の住民と地場に根ざしたスキー場だった。この日、スタッフも来場者もそれぞれに思い出をかみしめた。県北のスキー場が迎えた最後の1日を追った。
午前8時前。3人のパトロール隊がいつも通り営業前のコースを確認した。山頂に登ると、目の前の雲海とパウダースノーに感嘆した。
「最後に最高のコンディションだ」
パトロールの一人、飯山達哉さん(33)は3シーズン目の勤務。「ここでスキーを始めたから、思い出ばかり」と表情を緩める。「きょうはお客さんに一本一本かみしめて滑ってもらいたい。その手伝いをしたい」

圧雪車を担当する大滝登志男さん(66)も最後のコース整備に手応えを感じていた。早朝から約4時間。「最後にいいゲレンデにしたかった。重い雪質だったが、最高完璧に仕上げた」
準備が整ったスキー場には、リフト乗り場にもリフト券売り場にも行列ができた。大滝さんは「こんなに並ぶのは珍しい。オープンしたころみたいだ」
ぶどうスキー場は市町村合併前の朝日村によって、1988年にオープンした。急斜面が多く、特に中上級者に人気だった。ただ、開業当初2万人を数えた来場者は徐々に減少。2002年度以降は1万人を割り込んだ。

村上市はスキー人口の減少に加え、リフトの老朽化を理由に昨年、今季限りでの閉鎖を表明した。
ただ、この閉鎖の決定が多くの人の来場のきっかけになった。今季の来場者は約1万3000人。前季は暖冬で営業期間が短かったとは言え、倍以上の入り込みとなった。1万3000人を超えたのは1998年度以来だ。
そして、この日だけでも約1300人が来場する盛況ぶりだった。遠く離れた五泉市からも少年マラソンチームがトレーニングの一環で訪れた。スキー場までは車でおよそ1時間半。隣接する町にもスキー場があるが、監督の阿部康征さん(48)は「きょうが本当に最後だから行き先に選んだ」と話しつつ、閉鎖を惜しむ。「斜度もあっていいスキー場。なくなるのは残念だ」

チームは山頂に到着すると、朝日連峰の山並みを背景に記念撮影。メンバーの小学5年生(11)も多彩な魅力に気付いた。「雪質も良くて、急だけど滑りやすい。家並みも木もたくさん見えてきれい」

スキー場の行列と同様に、麓にある「くらした食堂」は午前11時半には、早くもほぼ満席状態になっていた。
くらした食堂は地元蒲萄集落が運営する。集落区長の菅原忠志さん(72)によると閉鎖前の1週間ほどで人が一気に増えた。「初めて来た人もいた。もっと宣伝していれば違ったのかな」
スタッフの岡田稔(みのり)さん(71)も「きょうみたいに混んだのは初めて」と目を見張る。
くらした食堂を訪れる人のお目当ては、地元で作られ、無料提供された赤カブ漬け。一緒に並べられたふきのとうの天ぷら、ワラビ漬けも合わせて、あっという間になくなった。
閉鎖を前に寄せられたメッセージには「赤カブがおいしかった」との文字が並んだ。お客さんからの感謝の言葉。岡田さんは「『今までありがとう』と言ってもらえるだけでうれしい」

フィナーレを盛り上げようと、この日、さまざまなイベントが開催された。演歌歌手の村上良輔さんもステージ上で特別な思いを語った。村上さんは地元の蒲萄集落の出身。「(当時の朝日村の)村長には感謝している。なくなればさみしくなる」
スキー場ができたのは村上さんが故郷から巣立った後。当時は驚いたという。「蒲萄に人が集まる場所ができるとは思いもしなかった」
帰省のたびに国道から見える急斜面を見た。スキー場のイベントに幾度となく招かれ、地元の歓迎を受けた。
「なくなってしまうなんて思ってもいなかった。終わって考えると(地域の)誇りだった」

地元朝日ファミリースキークラブも“ホーム”に集まり、ラストを盛り上げた。デモ滑走で培った技術を披露。パレード滑走の参加者にも声がけをしながら最後の日を楽しんだ。
副会長の鈴木桂さん(52)はこのスキー場で腕を磨き、スキー検定の資格を取得した。「ぶどうは急斜面。ここを滑れれば、他のどこのスキー場も滑られると言われた」と懐かしむ。
ラストの...