水俣病被害者の支援に尽力した中村洋二郎弁護士を悼み、会見する新潟水俣病共闘会議議長代行の中村周而弁護士(右)と幹事長の高野秀男さん=27日、新潟市中央区
水俣病被害者の支援に尽力した中村洋二郎弁護士を悼み、会見する新潟水俣病共闘会議議長代行の中村周而弁護士(右)と幹事長の高野秀男さん=27日、新潟市中央区

 新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。の被害者を支援する新潟水俣病共闘会議は3月27日、共闘会議議長で、新潟水俣病の被害者による損害賠償訴訟の原告側代理人を長年担った弁護士の中村洋二郎さんが死去したことを受け、新潟市中央区で会見を開いた。議長代行で、弁護団で共に闘ってきた中村周而(しゅうじ)弁護士は「遺志を継いで全被害者の救済を進める」と決意を述べた。

 会見には、中村周而弁護士と共闘会議の高野秀男幹事長が出席。同会議によると中村さんは8日、新潟市西区の自宅で病気のため亡くなったという。通夜と告別式は近親者で済ませた。同会議では、後日お別れの会の開催を検討している。

 中村さんは新潟水俣病の第1、2、4次訴訟と、係争中の第...

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