浅尾慶一郎環境相らとの懇談で、マイクを手に語る松崎重光さん=5月1日、熊本県水俣市
浅尾慶一郎環境相らとの懇談で、マイクを手に語る松崎重光さん=5月1日、熊本県水俣市

 環境省側が水俣病熊本県水俣市のチッソ水俣工場から不知火海(八代海)に流された排水に、毒性の強いメチル水銀が含まれ、汚染された魚介類を食べた住民らに手足のしびれや感覚障害、視野狭窄(きょうさく)といった症状が相次いだ。1956年に公式に確認され、68年に国が公害と認定した。母親の胎内で影響を受けた胎児性患者もいる。根本的な治療法は見つかっていない。新潟県の阿賀野川流域でも同様の病気が発生。この新潟水俣病のほか、イタイイタイ病、四日市ぜんそくとともに、四大公害病と呼ばれる。被害者団体との懇談で発言を遮断した問題から、1日で1年となった。浅尾慶一郎環境相は1日に犠牲者慰霊式が行われた熊本県水俣市に前日から入り、関係団体と懇談するなど配慮を見せた。だが、新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。の公式確認から60年となる新潟県の式典に、環境相が出席するかどうかは未定のままだ。環境省との実務者協議の先行きも見通せず、新潟県の被害者団体からは「新潟が軽視されている」との不満が漏れる。

 「いまだに返事がなく、腹が立つ」。水俣病被害を訴え、国と原因企業の昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)に損害賠償などを求めた新潟水俣病第5次訴訟の原告団長、皆川栄一さん(81)は憤る。

 原告団を含...

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