越後金丸駅の構内。かつて2番線と3番線があった島式ホームは「雑草の海」に沈められたようになっていた=2025年11月、関川村

 2022年の県北豪雨で被災し、運休が続くJR米坂線の坂町(村上市)-今泉(山形県長井市)間の67・7キロ。3年余の時が流れ、鉄路の大半は雑草に覆われ、ところところで寸断されており、“廃線”後のような惨状だった。しかし、不通区間の駅舎は今も清潔に保たれている-。沿線住民らの声を拾いつつ、運休区間の全13駅を訪ねた。(論説編集委員・原 崇)

越後下関駅構内から小国、今泉方面を臨む。鉄路ではなく「雑草路」になっていた=2025年11月、関川村
豪雨で損壊した「小白川橋りょう」は撤去され、橋台だけが残っていた=2025年11月、山形県飯豊町

【坂町駅】

 プラットホームから構内を見渡すと、羽越線用のレールは光っているが、米坂線用のレールは赤茶けていた。使用されなくなって3年以上となるからだ。

 跨線橋には、代行バスへの乗り換えを促す張り紙が貼られていた。

 駅前で、仙台市内の私立大を卒業したという女性(66)=村上市=に出会った。聞けば、学生時代は大学と実家を往来する際に、米坂線経由の急行列車に乗っていたという。

 「心情的には鉄道として復旧してほしい。ただ、社会人になってからはほとんど乗らなくなっていたので、声高には訴えにくいかな…」と複雑そうに語った。

 駅舎には「鉄道のまち さかまち」との看板が掲げられている。

 旧国鉄新潟鉄道管理局の元幹部で、昭和時代の坂町駅で勤務した経験がある岡本松男さん(87)によると、羽越線や米坂線の接続駅として栄え、転車台を備える旧坂町機関区もあった。最盛期には約200人もの国鉄職員がいたという。

 だが今は、数人が交代で派遣されているだけになっている。職員が不在の時間帯もある。通学客らが行き交う朝夕以外、構内は閑散としている。

 駅近くのお肉屋さん「肉のみながわ」。さまざまな肉や総菜が並び、おいしそうだ。私もメンチカツとレバカツを買った。

 二代目店主の男性(72)によると、今は販売のみだが、昭和時代にはホルモン焼きが名物の焼肉店も営んでいたという。

 「昔は国鉄職員が連日のように大勢来てくれてね。さらに汽車で小国(山形県小国町)の大きな工場に通う労働者も多く、寄ってくれたし。坂町駅周辺はすごく元気があったなあ…」

 往時の冬には、店先の道路に積もっていた雪が、蒸気機関車の煙で“黒化粧”することもあったという。

 さびれかけた駅前にあっても残っている食堂は「うまい」という法則がある(あくまでも53歳記者の経験による主観だが)。

 駅のすぐ前にある「いこい食堂」。スキッとしているもののコクのあるスープと、脂身が溶けるほど柔らかいチャーシューの入ったラーメンは絶品だ。昼間だけでなく、夜は地元民に愛される居酒屋的な「まち中華」にもなる。手作りのキムチは最高だった。

 敬愛する先輩の一人は、店のファンになり、米坂線沿線振興のために自腹で「いこい食堂Tシャツ」まで作ってしまった。

 食べてばかりではいけない。次の駅へ出発だ。...

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