
故中村洋二郎弁護士との思い出を語る新潟水俣病被害者の会の小武節子会長(右)=22日、新潟市中央区
新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。の被害者による損害賠償訴訟で原告側代理人を長年務め、3月に89歳で死去した中村洋二郎弁護士をしのぶ会が22日、新潟市中央区で開かれた。親しみを込めて中村さんを「洋二郎先生」と呼び、長く交流してきた参加者たちは、問題解決に向けて尽力した中村さんの遺志を継ごうと、決意を新たにした。
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中村さんは新潟市出身。1967年提訴の新潟水俣病第1次訴訟から弁護団に加わり、係争中の第5次訴訟水俣病被害を訴える新潟市などの男女が2013年12月、国と昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)に損害賠償などを求め新潟地裁に提訴した訴訟。原告が水俣病かどうかや、九州に続き新潟県でも水俣病が発生したことに対する国の責任の有無が主な争点となっている。でも中心的な役割を担った。新潟水俣病...
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