
錦鯉の野池で作業をする星野剛さん=長岡市
最大震度7を記録し、68人が亡くなった2004年の中越地震から、23日で21年となった。小千谷市の塩谷集落では児童3人が犠牲となった。長男の星野有希さん=当時(11)=を亡くした父・剛さん(69)は「起きてしまったことはしょうがない。もちろん悲しくてつらいけれど、生き残った者には生活が続く」と、地震前から携わる錦鯉の養殖に汗を流す。「悔いのないように生きなければ」と、懸命に前を向いて歩んできた。
【関連記事】
亡くなった児童3人に思い寄せ…小千谷市・塩谷集落で遺族や住民らが慰霊碑清掃
あの日、塩谷の自宅にビリビリと細かい振動が走った。剛さんが外の様子を見ようと、玄関の方へ向かった時だった。下から突き上げるような激しい揺れが襲い、1階が一瞬でつぶれた。
1階にいた有希さんと剛さん、妻の圭子さんが、崩れた家の下敷きになった。剛さんの体には重い物が直撃せず、助かった。圭子さんは有希さんをかばい覆いかぶさろうとしたが、有希さんの上には大きな梁(はり)が落ちてしまった。
「有希が、有希が」。がれきの下で...
残り613文字(全文:1064文字)