原発関連の集会で話す高木仁三郎さん=1993年、福井県敦賀市(原子力資料情報室提供)
 原発関連の集会で話す高木仁三郎さん=1993年、福井県敦賀市(原子力資料情報室提供)
 高木仁三郎さんが生前に使っていた机=千葉県鴨川市
 原稿を書く高木仁三郎さん=1999年9月、千葉県鴨川市(パートナーの久仁子さん提供)
 高木仁三郎さんが生前に使っていたノート。「技術が人間を圧迫している」などと書かれている
 高木仁三郎さんの写真と山口幸夫さん=東京都中野区
 高木仁三郎さん=1996年10月(パートナーの久仁子さん提供)
 高木仁三郎さんの歩みと主な原発事故
 原子力資料情報室の川崎彩子さん
 原子力資料情報室の事務所で作業する川崎彩子さん=東京都中野区

 国策にあらがった一人の科学者がいた。高木仁三郎さんは戦後の経済成長に利用される科学の在り方を問題視し、原子力政策を市民目線で批判した。亡くなってから今年で25年。現代社会に投げかけられた問い、受け継がれる思いを探る。

▽市民の良識信じ原発監視

 千葉県鴨川市の雑木林に市民科学者の高木仁三郎さん(1938~2000年)が晩年に建てた家がある。穏やかな笑顔を浮かべる高木さんの写真が飾られた書斎には執筆に使った机やノート、カセットテープが残る。

 「病気が進んでからも、テープに口述していた。仁さんは最後まで自分の考えを伝えようと懸命だった」。パートナーの久仁子さん(80)はゆかりの品を手に取って、志半ば...

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