ミラノ・コルティナ冬季五輪でメダル量産が期待されるスノーボード日本代表には、切っても切り離せない苦い出来事がある。2010年バンクーバー大会。シャツを腰から出してズボンを下げてはく「腰パン」など、国母和宏の競技外の言動に注目が集まった。世間の反感を買った騒動を教訓にチームを構築。運営に常に気を配る今は、開会式で日本選手団旗手を初めて輩出するほどの主要競技へと変貌した。
長年ハーフパイプ日本チームのトップを務める治部忠重氏は当時、コーチだった。報道対応への免疫がなかったなど、自らの責任も反省した上で「変わる大きなきっかけになった」と断言する。バンクーバー大会後、治部氏は一時チームを離れたが復帰。強い選手が14年ソチ大会で結果を残すために試行錯誤し「行き着いた答えが組織的なチームの構築だった」。
1998年長野大会で正式採用された競技に「スノーボードは文化だからスポーツじゃない」と言う人も多かった。ただ「五輪に臨む時点で同じスポーツであり、一人のアスリートと考えないといけなかった」と治部氏。トレーナーや板の調整を担う専門職も含め意思疎通を図り「一つになって戦う」を心がけた。
その中で台頭したのが平野歩夢(TOKIOインカラミ)だ。...
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