約100年前の大正時代、内戦で混乱していたロシア・シベリアから、約760人のポーランドの子どもたちが救出され、日本で保護されました。日本赤十字社などによる手厚い看護を受けた後、無事に祖国ポーランドへ帰国しました。子どもたちのために力を尽くす中、伝染病で亡くなった新潟県出身の看護師がいます。日本赤十字社の看護師で、旧満日村(現在の新潟市秋葉区)出身の松澤フミさんです。ポーランドでは今もこの出来事に感謝をし、松澤さんのことを若い人たちに伝える活動が続いています。100年の歴史をひもときつつ、県人の献身を伝えるポーランドの今を紹介します。
シベリアからポーランド人の子どもたちが日本に救出された背景は
18世紀初めから20世紀初めまで続いた帝政ロシア時代、シベリアには政治犯として流刑されるなどしたポーランド人やその子孫らポーランド系の住民が多くいました。1917年のロシア革命後、ロシアでは内戦が起き、その混乱の中、寒さ厳しいシベリアで身寄りのない多くの子どもたちが飢餓に苦しむなど困難な状況に置かれていました。
極東のウラジオストクでは、ポーランド人が子どもたちの救済のために立ち上がりました。当時シベリア出兵により、シベリアには日本が軍隊を駐留させていたことなどから、他国からの協力が得られない中で、日本の外務省を直接訪れて子どもたちの救済を求めました。日本赤十字社が救いの手を差し伸べることになり、1920年~22年に約760人の子どもたちを日本へ受け入れました。日本赤十字社にとっては難民支援の先駆けとなる取り組みだったとされます。
子どもたちは...
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