JR柏崎駅近くの建物の窓に、「上越-柏崎-長岡」の信越線活性化をアピールする文字が見える 

・新潟県にあったリニア構想【前編】田中角栄元首相と異色の官僚

 主は不在だった-。

 1985年12月13日、柏崎市の産業文化会館。「浮上式鉄道試験線誘致・日本海新幹線建設期成同盟会」の設立総会が開かれた。

 中越(小千谷市)-柏崎-上越市にリニアモーターカー新実験線を誘致しようと、長岡、小千谷、柏崎、上越など8市町村の首長や議長、商工会議所会頭らが一堂に会した。

 来賓として田中角栄元首相の「国家老」といわれた秘書の本間幸一氏(2011年死去)が出席していた。だが、リニア同盟会の名誉会長である当の田中氏本人の姿はなかった。この85年の2月に脳梗塞で倒れ、政治の表舞台には一切出られなくなっていたからだ。

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幻のリニアモーターカー新潟実験線のルート案図。後年発表された信越線を活用した「ミニ新幹線」構想のルート案と比べると、脇野田(現上越妙高)での接続よりも、一気に糸魚川や富山へと向かうことに力点を置いた線引きであり、「日本海縦貫線」の機能を重視していたことがうかがえる 

 日本海縦貫新幹線への転用を念頭に置いたリニア新実験線誘致の動きが、新潟県内でしぼんでしまった背景の一つには「政治力学の変化」があるとの指摘がある。

 田中氏が倒れて以降、全国における新潟県の存在感は「普通以下」(田中氏の秘書を務めた故早坂茂三氏)になった、といわれる。

 一方、80年代後半に政界最高実力者にのし上がったのは、田中派内に派中派・創政会を立ち上げ、...

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