4年に1度のスポーツの祭典、サッカーワールドカップ(W杯)が開幕する。サッカーの楽しさを、作家と文化人類学者に論じてもらった。
◆残酷な「勝敗」が時に美しく、尊い
作家・小川哲さん
小川哲さん
つらいことや苦しいこともたくさんあるし、冷たい人やうそつきもたくさんいるけれど、傷つくことの多い「人生」というものにも、少なからず良い面がある。それは「勝敗」がないという点だ。
100億円を稼いだ社長にも、美しい顔で生まれた俳優にも、観客を感動させる歌声を持つミュージシャンにも、ただそれだけの理由で「負けた」わけではないのが人生の面白いところだ。彼らには彼らなりの苦しさやつらさもあるだろうし、僕には僕なりの楽しさやうれしさがある。
僕が職業にしている小説にも「勝敗」がない。100万部売れた小説が、まったく売れなかった小説に「勝っている」わけではない。作品の優劣は、読んだ人によって異なっている。
人生にも小説にも「勝敗」がないのは、「ルール」がないからだ-正確に言えば「勝利条件」がないからだ。何をもって「勝利」とするか、客観的な基準がない。僕たちはそれぞれ、自分で「ルール」を決めることができる。100億円持っている人を目の前にしても、「詐欺師が寄ってきて大変だろうし、自分の人生の方が楽だろうな」などと、自分が「勝利」する「ルール」を無限に追加することができる。
スポーツには明確な「ルール」がある。だから必然的に「勝者」と「敗者」が生まれる。人生にも小説にも存在しない、無慈悲で残酷な事実だ。でも、「勝敗」のない世界で生きている僕には、その事実が時に美しく、尊いものに見える。
昨年10月のブラジル戦でプレーする伊東純也選手=味の素スタジアム
アスリートたちは、自分とは異なる世界で、異なる価値観の中で生きている。自分の人生を「勝敗」という言い訳の余地のない結果の中に置いている。スポーツは勝手に「ルール」を追加することが許されない。誰かが決めた基準の中で、「勝利」を目指してタフに生きている。僕にはそんな生き方は無理だ。だからこそうらやましいし、だからこそ悲しいし、だからこそ感動する。
サッカーの「ルール」は基本的に二つだけだ。「手を使ってはいけない」と「相手側のゴールにより多くボールを入れた方が勝ち」。数あるスポーツの中でも、とりわけシンプルで美しい。宇宙人が地球にやってきたとして、最初に「ルール」を理解することができる球技は、サッカーなのではないかと思う。
ワールドカップに出場する選手たちには...











