戦国武将の中でも、越後(現在の新潟県)の上杉謙信と甲斐(現在の山梨県)の武田信玄のライバル関係は特に有名だ。両者は「越後の龍」「甲斐の虎」とも呼ばれ、ファンも多い。2023年は謙信が49歳で亡くなってから445年、信玄が53歳で亡くなって450年。さらには5回にわたって龍虎が激突した川中島の戦い(第一次)が勃発してから470年となる。

 その節目の年に、上杉家の分家に当たる米沢新田藩の9代目当主・上杉孝久さん(71)と、武田家16代目の武田邦信さん(75)に、先祖の名将への思いを語ってもらった。対談の会場は東京都世田谷区にある上杉さんのご自宅。両雄の子孫によるトークバトル、題して「令和の川中島の戦い」開戦!(報道部・小林純)

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上杉家の家系図を前に語り合う、上杉孝久さん(右)と武田邦信さん=東京都内

◆上杉孝久さんVS武田邦信さん、実は"飲み仲間"

-お二人はともに世田谷区にお住まいです。これまで交流はあったのですか。

 上杉孝久さん「15年ほど前に、テレビの対談企画で初めてお会いしました。その後も歴史関係のイベントで一緒になる機会があります」

 武田邦信さん「たまたま家も近いので、定期的に食事をしています。よく私の自宅近くにある上杉さんの娘さん夫婦が営む居酒屋に行きます。都内にある居酒屋『川中島』に行ったこともあります」

-先祖が戦国武将であることをどう感じていますか。

 武田さん「山梨県の『信玄堤』などゆかりの施設が今でも残っているのは、うれしいこと。武田家や歴史に関わるイベントに招かれる機会が多く、果たせる役割があるんだなと思う」

 上杉さん「当時から引き継いでいる品々がある。それを守らないといけないという責任感はありますね」

上杉家に伝わる銀杯

◆If~もしも、上杉謙信がもっと長生きしていたら~
上杉孝久さん「武田氏との連合軍で織田・徳川勢を撃破、京都を奪還!」

-越後の上杉謙信は1578年に49歳で亡くなりました。もし、もっと長生きしていたら、どんな活躍をしていたでしょうか。

 上杉さん「まずは、長年戦ってきた北条氏(後北条氏)を降伏させ、さらには武田氏との連合軍で織田・徳川勢(織田信長・徳川家康)を打ち破ったのではないでしょうか。続いて毛利氏(毛利輝元)など他の反信長勢力とも結んで上洛(じょうらく)し、京都を織田から奪還したと思います」

-自ら天下を取るということになったのでしょうか。

 上杉さん...

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