イラストはデジタル・グラフィックスセンター・伊藤五月

 小学生の頃から歴史が好きだった。中でも子ども心に引きつけられたのは、やはり群雄割拠の戦国時代。織田信長に豊臣秀吉、徳川家康らが天下を巡って争う様子は、何ともわくわくした。

 越後を拠点とした上杉謙信もそのうちの一人だが、亡くなったのは49歳。49歳で謀反に遭った信長を除けば、ライバルの武田信玄は53歳、秀吉は62歳と謙信より長生きだ。家康や中国地方を治めた毛利元就は75歳で、九州地方で活躍した島津義弘に至っては、85歳まで生きている。運命とはいえ、何か残念な気がしてならない。

 では、謙信がもう少し長く生きていたら、世の中はどうなっていたのだろう。死の前年の1577年には織田軍を手取川の戦いで破り「信長とは案外、手弱なようだ」との言葉を残すなど、合戦では無類の強さを誇った謙信だけに、その影響は小さくなかったはずだ。

 越後のヒーローが長生きしていたら-。「毘」の旗を掲げて君臨を続け、領国の拡大、天下も視野に入っていただろうか。さらには、その後に発生した国内のさまざまな出来事も、違った結果だったかもしれない。

 2023年は(※記事公開時点2023年11月)、謙信と信玄が5度にわたって激突した川中島の戦いが始まった1553年から数えて、470年に当たる。謙信、信玄の子孫や、新潟県内の研究者、歴史ファンたちに、「もしも」の話を投げかけてみた。

 さて、どんな「新たな歴史」が生まれてくるだろう。

(報道部・小林純)

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室町幕府を再興し、トップではなく補佐役に

米沢新田藩上杉家当主 上杉孝久さん

 戦国時代にあって強さを誇った上杉謙信。長生きしていれば天下を取ったのではないか? そんな考えを上杉家の分家に当たる米沢新田藩上杉家当主の上杉孝久さん(71)=東京在住=にぶつけてみた。

上杉家に伝わる刀の鞘(さや)を手に語る、上杉孝久さん=東京都世田谷区

 上杉さんは「そうはならなかったんじゃないですかね」とやんわり否定した。ただ「武田家や毛利家ら反信長の武将と結んで、織田信長も徳川家康も打ち破っただろう」と推測。従来からの統治機構を大切にしていた謙信の姿を挙げ「自らがトップに立つのではなく、室町幕府を再興し補佐役に徹したはずだ」とみる。

 史実として、室町幕府は1573年に滅ぶが、最後の将軍足利義昭は各武将に信長討伐を命じていた。上杉さんは、関東管領でもあった謙信は、手取川で信長軍を破った実績もあることから反信長連合軍の旗頭になったと想定。「織田家を京都から追放して義昭を再び迎え、管領として幕府を支える要になった」とする。

 上杉さんの説では...

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