
新潟市で5月31日に開かれる新潟水俣病 1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。の式典に出席しないとしていた伊藤信太郎環境相は、13日の衆院決算行政監視委員会で、式典とは別に新潟県を訪問し、患者らと懇談する意向を明らかにした。熊本県での水俣病 熊本県水俣市のチッソ水俣工場から不知火海(八代海)に流された排水に、毒性の強いメチル水銀が含まれ、汚染された魚介類を食べた住民らに手足のしびれや感覚障害、視野狭窄(きょうさく)といった症状が相次いだ。1956年に公式に確認され、68年に国が公害と認定した。母親の胎内で影響を受けた胎児性患者もいる。根本的な治療法は見つかっていない。新潟県の阿賀野川流域でも同様の病気が発生。この新潟水俣病のほか、イタイイタイ病、四日市ぜんそくとともに、四大公害病と呼ばれる。被害者の発言遮断が問題となる中、新潟県内の患者団体などが伊藤氏との懇談を求めていた。
新潟水俣病の被害者と環境相の懇談は2015年以来、開かれていない。一方、九州の水俣病では、環境相が毎年、犠牲者慰霊式に出席している。...
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