記者会見で環境相との懇談会開催などを訴える新潟水俣病被害者の曽我浩さん(中央)と小武節子さん(右)ら=5月10日、県庁
記者会見で環境相との懇談会開催などを訴える新潟水俣病被害者の曽我浩さん(中央)と小武節子さん(右)ら=5月10日、県庁

 「熊本と同じ水俣病熊本県で1956年に公式確認された病気で、その後、新潟県の阿賀野川流域でも集団発生した。毒性の強いメチル水銀を含む工場排水で汚染された魚介類を食べた人やその胎児が水銀中毒を発症し、亡くなった人も多い。症状は感覚障害や運動失調、視野狭窄(きょうさく)など。外見的な異常は現れずとも、手足のしびれや頭痛などに悩まされ続ける人もいる。被害者なのになぜ」。伊藤信太郎環境相は5月10日、被害者の発言遮断問題を受け、懇談の場を増やすとした一方で、31日に新潟市で開かれる式典には出席しない考えを明らかにした。新潟県内の患者団体などは10日、新潟県庁で会見し、「新潟は軽く見られている」と訴え、伊藤環境相の式典への出席と懇談会の開催を求めた。

 「新潟にも同じ苦しみを持っている人がいる。命に関わる問題に大臣が来るのは当然で、みんなの思いを聞いてほしい」。新潟水俣病被害者の会の小武節子会長(87)はそう繰り返し、式典への伊藤環境相の出席を強く求めた。

 式典は新潟県主催で、関係団体が一堂に会して新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。の歴史と教訓を後世に伝える目的で2023年に始まった。

 被害者側は再三、環境相の出席を要望してきたが、...

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