ロングキックを蹴るGK平尾知佳=2024年5月
ロングキックを蹴るGK平尾知佳=2024年5月
試合で仲間に指示を送るGK平尾知佳=2024年5月

 アルビレックス新潟レディースで6季目のシーズンを終え、新潟の守護神として定着しているGK平尾知佳。2度のワールドカップなどを経験し、今回も、めでたくパリ五輪代表に選出された。出身こそ千葉県ではあるが、新発田市役所の勤務経験もあるなど、本人は“新潟代表”としての誇りも持って戦う。あらためて平尾がどんな選手か振り返り、精一杯の声援を送りたい。

小学生で166センチ 最初は嫌だったゴールキーパー

 平尾は千葉県の松戸市出身。1996年の大晦日生まれの27歳、J1アルビの守護神GK小島亨介とは同学年に当たる。

 2人の兄の影響で、小学校時代にサッカーを始める。ちなみに兄2人は名門・市立船橋高校で活躍し、上の兄は主将も務めた。

 父も兄たちも身長が180センチ台後半で、自身も小学6年で166センチと背の高さに恵まれた。それでも「怖いし痛いし、得点を決めて目立ちたい」と、キーパーは嫌だったという。だから当時はフィールドプレイヤーでのプレーが中心。チームで平尾がキーパーを嫌がったため、代わりにGKに抜擢されたのが現マイナビ仙台GKの松本真未子というのも、面白い縁だ。

 それでも、高倉麻子(元日本代表監督)らにGKとしての才能を見出され、サッカーエリート養成校「JFAアカデミー福島」(福島県)に進む。親元を離れた生活、反抗期で練習をサボったこともあった。ただ、コーチが海まで探しに来て、親のように叱ってくれた。キーパーのやりがいを感じ始めたのもこの頃。上達するうち、「自分が止めることでチームを救うことができる」と考えは変わっていった。

練習に励む平尾知佳=聖籠町

14歳 「怒濤の1年」

 2011年3月、平尾は中学2年。自転車で練習に向かう途中に大きな揺れに襲われた。東日本大震災。その日は寮のロビーで寝て、混乱の中で1カ月後、アカデミーは静岡に移って再開する。「サッカーができる生活が当たり前だと思っていた」。普通ではない状況を経験し、周囲の支えを身にしみて感じたという。

 この年は平尾にとって「怒濤(どとう)の1年」だった。震災の3カ月後、6月に父・秋吉さんが41歳の若さで急死する。病気と知ってわずか3日後のことだった。最後の会話は覚えていないが、けんか別れのように電話を切ってしまっていたことを後悔した。

 父はずっと野球をやっていたが、子どもにはやらせなかった。「野球だと情が入って厳しくしてしまうから。それに、自分が知らないスポーツを子どもと一緒に楽しみたかったらしくて」。温かく子どもたちの活躍を支える、尊敬する父だった。

 アカデミーに入寮する際、父からもらった手紙を今でも大切にしている。「休めるときは休むことも大事」「でも戦うところは戦ってほしい」「戦った先に家族がいつも見守っているから」。そんな内容の手紙を、今でも平尾は写真に残して見返し、戦う勇気をもらっている。

 「人っていつ死ぬか分からない。だから大切な人を大事にする」。そうして「覚悟ができた」と話す。お母さんを幸せにする、そのすべが平尾にとってはサッカーだった。

 この年、苦しいことだけではなかった。憧れの「なでしこジャパン」がW杯ドイツ大会で優勝を果たした。静岡で仲間と共に観戦し、涙があふれた。その場に立ちたいと思った。普段からサッカーを見ているファンだけでなく、日本中が応援していた。「サッカーって、こんなに人を感動させるものなんだ」。14歳で背負った覚悟の先に、明確な目標ができた。

新潟の守護神へ

 平尾は年代別の代表でも活躍しながら、...

残り1559文字(全文:2959文字)