笠原平治さんの葬儀前に集まった親族。思い出の詰まった家族写真に笑顔がこぼれる=新潟市西区
笠原平治さんの葬儀前に集まった親族。思い出の詰まった家族写真に笑顔がこぼれる=新潟市西区
葬儀場の一室に飾られた笠原平治さんの写真や自ら描いた絵=新潟市西区

【2021/02/10】

 昨年11月下旬のある日、公益社が運営する新潟市西区の葬儀場「アーバンホール」の一室に40枚ほどの写真が飾られた。年月がたち、色あせた物もある。72歳で亡くなった笠原平治さん=新潟市西区=のコック姿や、家族でくつろぐ様子が収められていた。

 写真は、喪主を務めた息子の長田孝宏さん(46)=燕市=らが選んだ。葬儀は親族らだけの18人で営んだが、訃報に接した人から式場に問い合わせの電話が相次いだ。「お別れを言いに来てくれる人がいるかも」。遺影を置かない代わりに、多くの写真で父の思い出を振り返ってもらおうと考えた。

 生前の父の希望通りに身内だけの葬儀にしたが、葬儀の前も後も、焼香に訪れる人は絶えなかった。「『父親』はさまざまな顔の一つ。色んなつながりがあったのに、簡素な葬式にしちゃって悪かったかな」

 野辺送りの形をどうすべきだったか、胸につかえる思いが少しだけある。

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 平治さんの葬儀。喪主を務めた長田さんがあいさつしようと立ち上がった。だが、少し緊張してふらついた。参列した全員から笑いがこぼれたが、そのまま続けた。

 「本日は父の葬儀に集まっていただき、ありがとうございます。みなさんに来てもらい、父も喜んでいると思います」

 目の前にいるのは気心の知れた身内だけ。長田さんは、言葉は少なくても、気持ちは伝わったと思った。

 簡潔な葬儀は生前からの父の希望だった。新型コロナウイルスの感染拡大も考慮し、参列者を絞って通夜もなくした。

 だが、平治さんは新潟市内のホテルで料理長を務め、退職後は調理師の専門学校で講師もした。家族葬だからと連絡を最低限にしても、葬儀場まで焼香に足を運んでくれた人も少なくなかった。

 孝宏さんの妻、正子さん(52)には初めのうち、そうした人たちに対する申し訳なさがあった。

 しかし、その思いは次第に変わった。手を合わせに来てくれた一人一人が、時間を気にせずに平治さんの思い出話をしていってくれる。「最後、どうしても父の顔を見たいっていう方に来てもらうことができて、かえって良かったかなって」

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 平治さんが、ステージ4の直腸がんと肝臓への転移と診断されたのは亡くなる3年半前の2017年6月。治療して良くなっても、再び体調を崩すのを繰り返した。昨年11月、緩和ケアに切り替えて転院した。

 転院先では、新型ウイルス対応で1日の面会は近い親族だけが1人ずつ、5分と制限された。感染を防ぐために仕方ないことだと理解はしても、義父を慕う正子さんにはつらかった。

 次第に会話ができなくなったが、面会の後は平治さんの表情が明るくなると、看護師から言われた。良かったと思う半面、やるせなさも募った。

 平治さんの一番の親友だったコック仲間も面会は許されなかった。その時は、正子さんが病室からその親友に電話をかけ、スマートフォンを平治さんの耳に当ててあげた。言葉を出せなくなっていたが、親友の声を聞くうちに、平治さんの目にみるみる涙がたまっていった。

 そんな義父の最期の姿を知る人はほとんどいなかった。正子さんは焼香に来てくれた人に「お返しをしなきゃ」と考えた。父の闘病の経過や葬儀の様子を記した文章を送った。

 紙いっぱいに書いた文章はこう締めくくった。「お父さん、ありがとう。あなたが父で幸せでした」

 葬儀で伝えられなかった思いが、あふれ出した。