2001年夏、トンボは甲子園へ飛んだ―。高校野球で21世紀最初の夏の県大会を制し、夢舞台に立った十日町高校野球部。トンボの愛称で親しまれた公立校を聖地へと導いた現六日町高校の若井聡監督(65)が2026年3月で勇退する。あれから25年。駆け出しの頃、甲子園に帯同した記者・桑野龍太郎(51)=運動部デスク=が若井監督と共に当時の思い出を語り、名将にこれまでの監督人生を振り返ってもらった。

〈若井聡〉わかい・さとし 1960年4月2日生まれ。南魚沼市出身。六日町高校、順天堂大学を経て83年から高校教員となる。糸魚川商工(現糸魚川白嶺)高校を皮切りに、三条東高校、十日町高校、六日町高校、長岡高校で野球部監督を歴任。再任用となった2021年からは再び母校・六日町で指揮を執った。

多くの支えで駆け抜けた43年間

―大変ご無沙汰しております

24、25年ぶり?ですかね。

―この春にご勇退されるということで

振り返ると43年間、ずっと監督をやっていました。長岡高校で60歳になり、退職したんですけど、そこから再任用として六日町高校で5年間。長岡高校の時から、退職したら戻って来いと、ずっと六日町高校OBの関係者に言われていたので。再任用は1年契約なんですけど、皆さんに迷惑をかけながら5年いさせてもらいました。

―まだ監督を続ける気持ちはありましたか

いやいや。どっかで区切りをつけないといけないから。今は再任用とかいろんな形で、65歳でひとつ区切りがつくじゃないですか。もう十分やらせてもらいましたんで。

―43年はあっという間でしたか

早かったですね。単身赴任の時代も長かったけど、早かった。周りの人が支え、理解してくれたからこそ、監督を続けられました。選手、保護者会、OB、街の人を含めて本当に多くの方に支えてもらいました。

あのプレーは「10年に1回」です

―われわれの思い出深いところ、十日町高校時代の話から振り返りたいです。2001年夏の県大会決勝の日本文理高校戦は劇的なサヨナラ勝ちでした。7―7で迎えた延長10回裏2アウト満塁の場面。2塁走者が飛び出したように見せかけ、相手が2塁へ送球したその隙に3塁走者がホームに突っ込んでサヨナラ勝ちを収めました。いわゆるディレードスチールというプレーですが、あのプレーは練習していたんですか

練習して...

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