亡くなった男子生徒の遺影=新潟市
亡くなった男子生徒の遺影=新潟市

 2024年6月5日、新潟工業高校柔道部3年生の男子生徒が自ら命を絶った。監督だった男性教諭から度重なる𠮟責(しっせき)を受けていた。母親(50)は命日を前に「『𠮟責』という言葉だけでは伝わらないことがある。何があったのか知ってほしい」と新潟日報社の取材に応じた。

 県教育委員会の第三者委員会は、監督による指導を主たる契機とする「指導死」と認定した。母親は第三者委員会の調査に感謝を示す一方、明らかにされた事実などを踏まえ「息子は何も悪いことをしていない。なぜ、ここまで追い詰められなければいけなかったのか」と監督や学校への募る憤りを語った。

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 男子生徒の自死が「指導死」であると認定した県教育委員会の第三者委員会報告書によると、監督は2024年6月2日、県高校総合体育大会で試合に負けた生徒を会場で𠮟責。3日には学校で大声を出して叱り、4日の練習の際も厳しい𠮟責や突き放す発言などを繰り返した。練習後、生徒は着替えながら泣いていたといい、5日に亡くなった。(2026年4月28日付新潟日報)

※以下語り手は母親

 息子は4歳上の姉が剣道をしていたこともあり、保育園の年中ぐらいから剣道をしていました。礼儀作法などに厳しい教室でしたが、先生の愛情のあるご指導のおかげで、たくましく成長しました。常に真剣にぶつかっていくので、先生や周囲の方々からもかわいがってもらっていたと思います。

思いを語る母親

 中学校に入ると剣道部がなかったので、柔道部に入りました。柔道も大好きになり、一生懸命打ち込んでいました。責任感が強くて、友達思い。男女関係なく仲良くて、相談に乗ってあげるような子でした。

 高校入学後も、柔道の話はよくしてくれました。特に1、2年生のころは「先輩とラーメンを食べに行った」とか、先輩とふざけている動画をみせてくれたりとか。「よかったな」と思っていました。

 ただ、3年生になると話すことが減りました。これは息子だけでなく3年生に対して、監督からのプレッシャーが強くなっていたからだと思います。

◆6月2日から5日までに何があったのか

 2年前の6月2日の県総体は上越市で行われ、私は娘(男子生徒の4歳上の姉)と一緒に応援に行きました。帰りは私が運転する車で帰宅し、助手席に娘、後部座席に息子が乗りました。

 息子は帰りの車の中で、部活を「やめたい」と言っていました。監督にすごく怒られたと。

報告書の概要より抜粋:監督は生徒の最後の試合にセコンドとしてついた。生徒は終始自分のペースをつかめず、攻めあぐねた結果、負けた。監督は試合中、大きな声とジェスチャーでアドバイスしたが、生徒はこのアドバイスに従わなかった。 試合終了直後、監督は試合内容及びアドバイスに従わなかった点について生徒を指導し、さらに生徒がお礼を言わなかったことを問題視した。監督は部員に対し、親の車で帰る人は帰ってよいと伝え、最後に全員が立ち上がって監督にお礼を述べて解散した。解散後、生徒を含む5名は親の車で帰宅したが、その際、5名でまとまって監督に挨拶をしなかった。

 大会や合同練習などがあると、柔道部ではノートに感想を書かせていました。2日の夜も息子は自分の部屋で書いたようです。それを見ると「もう1回頑張ろう」と、前向きな思いが書いてありました。

北信越大会に向けた決意がつづられた柔道ノート。監督からは書き直しが命じられた(画像の一部を加工しています)

ノートの内容の抜粋:県総体の感想 5/31(金)~6/2(日) 今回は、最後の大会として挑んだつもりだったが、結果としては、練習に来てくださっていた先輩方や研究に付き合ってくれていた仲間達に非常に失礼な負けをしてしまった。負けた原因は、全ては自分の甘さ、卑怯さが最後の最後に出てしまったことだと思う。自分に残された選択肢は2つある。このまま諦めて周りからの信頼を失いこの先の人生を歩んでいくか。それとも北信越大会で勝ち進み、もう一戦交えるか。選手権大会のノートを見返したら、あの時の自分は確かに人生をかけていた。自分は新工一諦めが悪い男だと自負している。今回のノートは北信越大会直前の自分を奮い立たせるためにも書いている。以前敗れた者がもう一回勢いを盛り返す、そういった「捲土重来」の意識を持って残りの2週間を走り切る。

 3日も、いつもと変わらない様子で学校に向かったので「気持ちを切り替えて、頑張っていくんだな」と思っていました。彼が追い詰められているとは分かりませんでした。

 3日の夜、帰宅した息子は「朝、謝りに行ったけど、聞いてもらえなかった。相手にしてもらえなかった」と言っていました。それでも4日の朝も、普段と変わらずに部活に向かったんです。

報告書の概要より抜粋:3日の朝、部員は格技場前の通路に整列し、監督が移動する際に大きな声で挨拶を行った。そこでは、県総体後に親の車で帰った5名が挨拶をせず帰宅したことへの注意があった。特に生徒に対し、3年生が全員を連れて挨拶をさせる必要があったとした。 このときの監督の指導については、大きな声での厳しい𠮟責と受け止めた部員が多く、本委員会の認定もこれと同様である。
報告書の概要より抜粋:4日の授業開始前、教室内で雑談していた生徒は、監督の指導の理不尽さについて、これまでになく強い不満と怒りを示していた。放課後、監督は部活動が終わる18時20分までの間に、生徒に対し、格技場、体育館、練習前、教員室、練習中に指導を行った。多くの生徒が、(自死した)生徒に対する厳しい𠮟責と受け止めた。

◆4日の放課後にあったこと(報告書の概要より)

時間 場所 事実関係
15:30以降 格技場

監督は着替え中の部員にプリントを配布。

この際、当該の生徒に試合内容について言い、

𠮟責(しっせき)と謝罪が繰り返される。

 

小体育館の

バドミントンコート上

部員は格技場から小体育館に移動。

監督が当該の生徒を呼び、監督と生徒が向き合い、

その周辺を部員が扇形で囲むような形で指導。

 

小体育館の

別の場所

監督は当該の生徒ら4人を呼び、立ったまま話す。

その後監督と生徒だけが残ったまま話が続く。

この際の声は、4人で居たときよりも大きかった。

監督が怒ったまま移動し、生徒が追った。

 

小体育館から

離れた場所

小体育館を離れた監督が(報告書では黒塗り)に入り、

それを生徒も追って入った。

その場所にいた別の教諭は、

監督のドアの開け方や入室の様子から、

かなり怒っていると感じた。

他の教諭は退室し、

この場は監督と生徒だけになった。

このときの指導は大声、早口で、

突き放す感じだった。

16時ごろ 小体育館

剣道部員が足の踏み込みの練習を開始したところ、

その音にいらだった監督が(報告書では黒塗り)から

出てきて、怒鳴った。

小体育館にいたバドミントン部員にも

大声で問いただした。

いずれも小体育館に響き渡るほどの大声だった。

剣道部員はその場にいられなくなり退去。

剣道部顧問も事態を把握。

柔道部監督から、

柔道部は北信越大会が控えているため、

剣道部は他の場所で練習するよう求めた。

剣道部はこの日以降、

小体育館で練習を行わなくなった。

16:20ごろ

 

 

部員が練習していたところ、

道着に着替えた監督が現れた。

畳の上に立ち練習を一時中断させ、

生徒に大きな声で(報告書では黒塗り)などと言った。

練習は再開されたが、

場の空気は重苦しく、

他の部員は払拭しようと普段以上に大きな声を出した。

練習中監督は生徒に声をかけず、

指導もしなかった。

   

(生徒の様子)終始暗い表情で、

これまでに見られなかったような消極的な態度を示していた。

声出しもせず、動きにも力が入らず、

うつむいたままであったり、

どこを見ているか分からなかったりするような

様子だった。

18:30ごろ

  練習終了後、生徒は格技場で着替えながら泣いていた。
報告書の概要より抜粋:後輩が心配して声をかけ、生徒は真剣な表情で返答した。この日、生徒は部の自分のロッカーを片付け私物を持ち帰った。下校時は一人で学校を出た。他の部員が追いつくと、生徒は不満を口にした。別れ際、普段と違う挨拶をしたことから、部員は強い違和感を覚えた。

 4日の帰宅後...

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