「リスナーのみなさん、気持ちの良い午後をお過ごしください」―。新発田市中央町の市役所内にあるエフエムしばたの「ヨリネス街角スタジオ」で伸びやかな声で公開放送をするのは、フリーアナウンサー、冨髙由喜さん=新潟市中央区=です。アナウンサーやニュースキャスターとして勤めたテレビ局を2020年に退職し、現在はフリーで活動。CMのナレーションやイベントの司会のほか、ライター業も行っています。小学5年生と年長さんの2人の子どもがいる冨髙さんは「育児と両立しながら、これまでのキャリアを生かした働き方をしたい」と話します。

【写真】エフエムしばたのスタジオでラジオブースに座る冨髙由喜さん=新発田市中央町

妊娠出産後も仕事を続けたい

 兵庫県出身の冨髙さんは、大学卒業後、アナウンサー職として県内のテレビ局に就職。報道取材も経験し、夕方のニュース番組のメインキャスターも務めました。結婚後、2010年に第1子を出産。妊娠を会社に報告すると、「番組は降板」と告げられました。「社内ではこれまで報道職場で産休育休を経て復帰した女性はおらず、子どもを産んだら退職するものだと考えられていた」と振り返ります。「『復帰後はあなたの席はないよ』と言われショックでした。前例がないのなら、今後の後輩たちのためにも、自分が道を切り拓かなくては」と子育てとアナウンサーの両立を決意しました。「男性は結婚しても子どもが産まれても働き続ける。女性も同じでいいのでは。これからも取材をしたいし、自分の声でニュースを伝えたい」と上司に訴えました。冨髙さんの希望は認められ、産休に入るまで夕方の番組のメインキャスターとしてニュースを読み、育休復帰後も報道現場に復帰しました。

 復帰後は仕事が忙しく、時間のやりくりに苦労しました。当時、夫は単身赴任中で、平日は一人で育てる「ワンオペ」状態。毎日午後8時ごろまで子どもを保育園にあずけ、風邪をひいた時は双方の実家を頼りながら、乗り切りました。「体力的に大変な日々だった。でも記者として番組を作ったり、海外に取材に行ったり、忙しいけれど充実した時間を過ごせた」と話します。

自分らしい働き方を模索

 2015年に第2子を出産。育休復帰後は、報道職場を離れ、宣伝の部署に配属されました。子育てのため時短勤務を選択しましたが、帰宅は遅くなり、さらに家でも仕事をしないとこなせませんでした。慣れない仕事に奮闘しながら、学童保育の迎えの時間を気にする毎日。綱渡りのような日々を送る中、「子育てと両立しながら、ナレーションやニュース原稿を読むなど、これまでのキャリアを生かす仕事をしたい」という思いが強くなります。

 自分がやりたい「声を生かし、人に伝える」仕事を、自分に合った働き方でやりたいと、テレビ局を退職し、フリーアナウンサーとして独立しました。

 エフエムしばたではことし4月からパーソナリティーを務め、毎週木曜の午前11時から午後1時まで生放送を行います。局アナ時代と違い、ディレクター業務から音声調整などすべて一人でこなす「ワンマン放送」ですが、「初めての経験で不安もあるけど、新しいチャレンジ」と意欲的です。

 他にも、取材経験を生かして、ライター業も行っています。「宣伝担当でPR冊子を作ったことなど、アナウンサー以外の業務経験が今に生きている。仕事の経験は自分の財産になる」と感じています。

子どもに社会で働く姿を見せたい

 子どもの存在は「どんなに疲れていても子どもをぎゅっと抱きしめるとパワーをもらえる。自分に元気を与えてくれる何よりの原動力」と冨髙さん。普段の家事は夫と協力しながら行っているそうです。子育てに関しては「子どもたちの個性を伸ばし、成長のヒントになる言葉をうまくかけてあげながら寄り添いたい」という思いを持っていて、「子どもが待っているから『仕事を早く終わらせるために集中して頑張ろう』と思える。子育ては仕事にいい影響があります」と話します。

 自身の母親は得意の英語を生かして、貿易会社の定年まで正社員で務めていました。「子どもながら、働く母の姿はかっこよかった。わたしも子どもたちに、今後も社会で働く背中を見せていきたい」。同じように子育てと仕事をする世代のママやパパに向けて「日々、忙しい毎日ですが、子どもにパワーをもらいながら、自分のやりたいことを前向きに取り組んでいきましょう」と話しています。


◇「にいがた、びより」の連載「こそだてエール」では、県内の子育ての先輩や育児真っ最中のパパ、ママを紹介していきます。仕事も子育てもがんばる皆さんに、またこれからパパ、ママになる皆さんに温かいエールを届けます。