新潟水俣病について講演する斎藤恒さん=新潟市北区前新田の県立環境と人間のふれあい館
新潟水俣病について講演する斎藤恒さん=新潟市北区前新田の県立環境と人間のふれあい館

 約60年にわたり新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。被害者を診察してきた医師の斎藤恒さん(93)=木戸病院名誉院長=が6月30日、新潟市北区で講演した。新潟水俣病が発生した当時の行政の対応を批判し、「第二の水俣病は起こるべくして起きた」と語った。

 講演会は新潟県が主催し、約60人が耳を傾けた。斎藤さんは新潟市出身で1955年に新潟大学医学部を卒業。1965年に新潟水俣病が公式確認された当時から被害者を診察し、水俣病問題の解決に尽力してきた。

 斎藤さんは水俣病の発生当時、漁師の生活保障をせずに行政が漁の自粛を要請したことで被害が拡大したとして「今日まで続く誤りの元だ」と指摘。「漁師たちは自分の集落から患者を出さないよう...

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