新潟水俣病カ1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。の被害者や支援者らが思いを語り合う市民講演会「それぞれの『覚悟』の軌跡」が11月3日、新潟市中央区万代3の新潟日報メディアシップで開かれる。

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 新潟水俣病の被害者らでつくる「新潟水俣病阿賀野患者会」と市民団体「阿賀と生きる会」が主催。国と原因企業の昭和電工(現・レゾナック・ホールディングス)に損害賠償を求め、2013年に提訴した新潟水俣病第5次訴訟の道のりを新潟日報の記事などで振り返った冊子「『覚悟』の軌跡」の発行を記念し、企画された。

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