
記者の質問に答える花角英世知事=7月17日、県庁
新潟県の花角英世知事は7月17日の定例記者会見で、新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。の被害者団体と面会した際に受けた県への要望5項目について「しっかりと受け止め、可能なものは対応を進めたい」と述べた。
4月の新潟水俣病第5次訴訟水俣病被害を訴える新潟市などの男女が2013年12月、国と昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)に損害賠償などを求め新潟地裁に提訴した訴訟。原告が水俣病かどうかや、九州に続き新潟県でも水俣病が発生したことに対する国の責任の有無が主な争点となっている。新潟地裁判決を受け、花角知事は被害者団体の求めに応じる形で7月12日、新潟水俣病被害者の会認定申請を棄却された被害者が集まった組織で、1982年に新潟水俣病第2次訴訟を提起した。裁判は長期化し、96年に和解。その後は水俣病の経験と教訓を後世に伝え、語り部活動や新潟水俣環境賞にも取り組んでいる。と阿賀野患者会、新潟水俣病共闘会議の3団体と面会した。被害者団体との公式な面会は約5年ぶりとなった。
面会で3団体は、...
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