
伊藤信太郎環境相(左)に自筆の手紙で思いを訴えた古山知恵子さん=7月18日、新潟市中央区
新潟水俣病1965年、新潟県の阿賀野川流域で公式確認された。阿賀野川上流の鹿瀬町(現阿賀町)にあった昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の鹿瀬工場が、アセトアルデヒドの生産過程で生じたメチル水銀を含む排水を川に流し、汚染された川魚を食べた流域住民が、手足の感覚障害や運動失調などを発症する例が相次いだ。56年に熊本県で公式確認された水俣病に続く「第2の水俣病」と呼ばれる。の被害者と伊藤信太郎環境相との2日目の懇談が7月18日、新潟市で行われた。母親の胎内でメチル水銀の影響を受け、新潟県でただ一人の胎児性水俣病患者として行政認定された古山知恵子さん(59)=新潟市=が思いをつづった手紙を持参。伊藤氏を前に「普通であれば健康な家庭生活を送れたはずだが、結婚も諦めざるを得なかった」という思いを支援者が代弁した。
古山さんは、手足が思うように動かず、口頭で思いを伝えることが難しい。日常生活を支えてきた母親が高齢となり、現在は市内の障害者施設で生活。車椅子で移動し、周囲に思いを伝える際は、パソコンに文字を打ち込んだり、筆談したりしており、今回は手書きで手紙を書いたという。
手紙には、...
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