
新潟水俣病公式確認60年の式典を前に、思いを紙につづる古山知恵子さん=新潟市中央区
母親の胎内でメチル水銀の影響を受けた胎児性水俣病熊本県水俣市のチッソ水俣工場から不知火海(八代海)に流された排水に、毒性の強いメチル水銀が含まれ、汚染された魚介類を食べた住民らに手足のしびれや感覚障害、視野狭窄(きょうさく)といった症状が相次いだ。1956年に公式に確認され、68年に国が公害と認定した。母親の胎内で影響を受けた胎児性患者もいる。根本的な治療法は見つかっていない。65年には新潟県の阿賀野川流域でも同様の病気が公式確認された患者として新潟県でただ一人、行政から認定されている古山知恵子さん(60)が、31日に新潟市で開かれる新潟水俣病公式確認60年の式典で被害者代表としてあいさつする。県主催の式典に初めて出席し、あいさつすることを決めたのは、自身の現状を直接伝えるとともに膠着(こうちゃく)する水俣病問題を動かしたいと考えたからだ。「国や原因企業は水俣病被害者の現状に向き合い、思いに応えてほしい」と思いを訴える。
「私の人生、もう1度やらせて下さい。かえして下さい。せめてしゃべれる人間に生まれさせて下さい。あるけるようにしてくれればもっといい」
メチル水銀の影響で話すことが難しい古山さんは新潟日報社の取材に対し、式典に出席する方向で調整中の浅尾慶一郎環境相や原因企業の昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)の髙橋秀仁社長に伝えたいこととして、紙に一字一字かみしめるように記した。
新潟市の阿賀野川下流域に生まれ、県内ではただ一人、胎児性水俣病患者として行政認定された。手足が自由に動かず、移動には車椅子を使う。話すのは難しく、ペンを握ることができる右手で筆談するか、タブレット端末を操作して意思を伝えている。
昨年7月、...
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