柏崎市の第二中学校で美術を教える阿部昭比古さん。原子力防災の授業にも力を入れる=柏崎市比角1
柏崎市の第二中学校で美術を教える阿部昭比古さん。原子力防災の授業にも力を入れる=柏崎市比角1

 2011年の東京電力福島第1原発の事故は、住民の平穏な暮らしを破壊し、故郷や仕事を奪った。事故から15年。住み慣れた福島を追われ、仕事や生活で柏崎市を拠点にする人たちがいる。それぞれの困難に向き合い、地域防災や教育、店舗の経営に奮闘している3人の姿を伝えたい。(3回続きの3)

<中>ふるさと富岡町の手芸店「ヤマダヤ」復活に奔走

 2011年3月11日午後2時46分。教員の阿部昭比古(あきひこ)さん(58)は勤務先の福島県郡山市の中学校で、地面がうねるような揺れに襲われた。翌12日、東京電力福島第1原発が爆発するのを自宅のテレビで目の当たりにした。「怖い。大丈夫であってほしいと祈る思いだった」と振り返る。

 発災から4日たった15日には「原発方面からプルーム(雲状の放射性物質)が郡山に来る」という、うわさが流れてきた。

 政府や福島県から避難指示は出ていなかったが、「家族を危険にさらしたくない」と、妻と6歳と8歳の子どもを連れ、実家のある見附市に自主的に避難した。この時は...

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