【2021/04/01】

 新型コロナウイルス禍が夜の街をむしばむ。その象徴とされた東京の新宿・歌舞伎町はこの1年、かつてない危機にさらされている。感染拡大の「第4波」に直面するいまも、この街で「ナンバーワン」を目指す若者たちは、懸命に生きるすべを探る。

 約200のホストクラブが立ち並ぶ歌舞伎町。3月末の夕暮れどき、着飾った若者たちが、ネオン輝くビルに吸い込まれる。1971年、新潟県胎内市(旧中条町)出身の故愛田武さん=2018年死去=は、この地にホストクラブを開いた。トップを目指し、それを実現したのが「愛本店」だ。

 愛田さんが極めた頂点を目指す、若者たちの夢と欲望のエネルギーは感染下でも変わることはない。

 1年9カ月前に愛本店の門をたたいた勇人(ゆうと)さん(29)は、入店して間もなくウイルス禍に巻き込まれた。日本一の夜の街で、日本一のホストになることを夢見ていた。だが、電車に乗っていたある日、一見してホストとわかる自分の容姿を見て避ける人がいた。夜の街に向けた差別的な視線にショックを受けた。

 「このままホストをやり続けていいのか不安を感じた。でも、店は老舗だし、信頼もあるし、ここは逃げられない」

 自分なりの接客を模索する中で指名客を増やし、昨年11月に初めて店のナンバーワンになった。だが、満足はしていない。感染下で店の規模が縮小した中での「勲章」だったからだ。

 「ゼロからのスタート」と捉えた緊急事態宣言の解除から1週間が過ぎた。感染対策を徹底し、ウイルスとの共存を図るしかない。先が見えない道を歩みながら、自分のあるべき姿を問い続けている。

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 まだ辺りがほの明るい午後5時。開店3時間前の新宿・歌舞伎町のホストクラブ「愛本店」では、15人ほどのホストが掃除に取り組んでいた。

 アルコールを含ませた雑巾でテーブルやソファなどを隅々まで拭く。新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐための対策だ。やまない感染に、みんなの不安やいらだちが募る。雑巾を持つ手に自然と力が入る。

 ホストは実力主義の競争社会。店では前月の実績に応じて役割が与えられるため、年齢に関係なく、売り上げの少ない者には早く出勤して掃除が課せられる。中堅のホストの一人、あさとさん(33)は「ここ最近は、ずっとこんな生活」と振り返る。

 歌舞伎町に飛び込んだのは19歳のとき。家業の建築業を長男として継ぐ将来に疑問を感じ、テレビに映った華やかな世界にあこがれた。都内の実家を「家出同然」で飛び出し、友達の家に転がり込んだ。

 必死に自分を磨き、一流の接客や話術をたたき込んだ。10年ほど前には多いときで月500万円を稼ぐまでになった。衣装に月30万円をかけ、移動は全てタクシー。「ほんと、調子に乗ってましたね」と苦笑する。

 歌舞伎町で生きて15年になる。未知のウイルスは生活を一変させた。旧知の客と連絡は取れても、なかなか足を運んでもらえない。

 愛本店は歌舞伎町で最も歴史があるため、客の年齢層が比較的高い。抜群の知名度でウイルス禍以前は、新潟など地方からの客が6割を占めていたことも響いた。

 「百年に一度の流行と言われているじゃないですか。それがいま来るとは」。月収は20万円になった。もう辞めなければならないかもしれない-。そんな思いも頭をよぎる。

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 社会に染み付いた「夜の街」のイメージ。歌舞伎町で多数の感染者が確認された昨夏以降、世間からの風当たりはこれまでにないほど強まった。小池百合子都知事は声高に、「夜の繁華街へ出掛けるのは控えていただきたい」と呼び掛け、都民からは「取り締まれ」との声も上がった。狙い撃ちされた気分だった。

 いまは各店が感染対策を徹底して、感染者はピーク時より減った。それでも、レッテルは消えない。「みんなどこかをたたくことで安心できるんですよ。僕らはその怒りのはけ口」

 偏見を持たれていることはこの15年で嫌というほど実感してきた。バッシングにも驚きは感じない。だからこそ、できることをやるしかない。

 苦境を支えるのは、この状況でも通い続けてくれる客だ。「一緒につらい時期を乗り越えよう、と言ってくれるお客さんもいて。ありがたいですよね。後ろを向いている暇はないなと」

 新潟にもあさとさんを慕って来店してくれていた客がいるという。会える日まで辛抱強く待つ。このままでは終われない。