【2021/04/03】
昨年、新宿・歌舞伎町のホストクラブ「愛本店」は、1971年の創業以来初めての事態に見舞われた。新型コロナウイルスの感染拡大により一時休業を余儀なくされた上に、入居するビルの取り壊しに伴い一時閉店したのだ。
店は新潟県の旧中条町出身で2018年に亡くなった愛田武さんが築き上げた。「ホスト界の帝王」-。まだ「ホスト」という職業が知られていなかった時代に女性専用クラブを立ち上げ、国内最大の店にした愛田さんを知らない者は歌舞伎町にいない。この街には200のホストクラブがあると言われるが、大半は愛本店から枝分かれしたという。
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40年余り、数え切れないほどの客をもてなした旧店舗は、一流の接客を求めた愛田さんのこだわりが凝縮した店だった。120坪のフロアにまばゆいシャンデリアと、ど派手な金塗りのライオン像。「歌舞伎町のヴェルサイユ宮殿」の異名を誇った。
ビルの取り壊しは閉店の1年以上前には決まっていた。愛田さんが作り上げた「城」で有終の美を、と思っていたその時に、新型ウイルスの流行が襲った。
東京都内に出された1回目の緊急事態宣言に伴い、昨年4~5月は完全に休業した。店舗の家賃にホストやスタッフへの給料…。代表の壱さん(38)は「このままじゃやっていけないと思った」と窮状を振り返る。
6月末の一時閉店から約1カ月後、旧店舗から歩いて数分のビルの4階に移転した。だが、新型ウイルスで収益が見込めず、約3分の1の広さの物件にせざるを得なかった。店の世界観をなるべく維持したが、広さの都合で置けない装飾品もあった。
壱さんは20歳から愛本店一筋で働いてきた。今は満足できるような環境ではない。でも、愛田さんから掛けられた一言を思い出し、歯を食いしばる。
10年ほど前、愛田さんがかわいがってきた売れっ子ホスト10人が、一斉に辞めたことがあった。そんなとき、愛田さんと2人で飲みに行き、こう言われた。「いっちゃん、いてくれてありがとうな」
震えた。この人のために店を守らないといけない。そう思うようになった。
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この苦境に愛田さんならどう立ち向かうか-。最近よく考える。「オヤジはどこに行っても笑顔で。それだけで僕たちは安心できた。背中と行動で見せてくれた人だった」。そんな存在に自分はなれているだろうか。
年明け、再度の緊急事態宣言に伴う営業時間の短縮には応じられなかった。今回は休業しながらホスト、スタッフの給料や店の家賃を支払う体力は残っていなかったからだ。
3月中旬、全従業員を集めた毎月定例の会議で、壱さんは思いをぶつけた。
「みんな『売れたい』と思うよね。でも、『売れたい』じゃないんだよ。『売る』んだよ。今できる範囲でどういう接客をしているのか、改めて考えよう」
ウイルスの収束は見通せない。ただ逆風の中だからこそ見えてきたことがある。この感染下で、愛田さんが残した「一流の接客」をどう受け継いでいくか。苦しむホストたちと、壱さんは考える。
=おわり=
(この連載は長期企画取材班・遠藤寛幸、上林陸来、中島陽平、写真は佐藤勝矢が担当しました)
◎取材を終えて 先入観で語らないで
「結局、誰かを悪者にしたいだけ」。取材中、こんな声をよく聞いた。昨春以降、新型コロナウイルスの「感染源」として、政府や自治体、メディアは「夜の街」への批判を浴びせた。
東京都によると、直近1週間の新規陽性者で、感染経路が判明した人のうち「接待を伴う飲食」が要因だったケースは1・2%まで減った。だが、その裏にある感染対策や店を守る努力には光が当たらず、批判ばかりが残った。記者として、どう言葉を返せばいいのか分からなかった。
歌舞伎町のネオンの下にはさまざまな人が集う。夢を追う人、頂点を極めた人、貧困から働かざるを得ない人…。共通するのは、みんな必死に生きているということだ。
ウイルスは確かに怖い。それでも、先入観で誰かのせいにして留飲を下げるような社会はもっと怖い。
(遠藤)